胃瘻造設数が減った理由は?

「終末期」のため口から食事が取れなくなった状況での人工栄養という選択肢について,朝日新聞で取り上げられていました(有料記事ですが登録すれば1日1記事のみ無料で閲覧できます)。

「(胃瘻を作るのに)おなかに穴を開けるのが嫌だ」と仰っていた方が結局は経鼻経管栄養・身体抑制という実例の紹介で,そこに至るまでの意思決定の経緯はどうだったのかとは思いますが,本筋とは別の記述も少し引っかかりました。

寝たきりの患者が胃ろうにすれば、入院費だけで年数百万円かかる。国は批判を背景に14年、胃ろう造設の報酬を約10万円から約6万円(別途加算あり)まで引き下げた。その結果、16年6月の造設数は3827件と、5年間で半減した。

当方の観測範囲では,確かに胃瘻が造設される機会は年々減っていますが,2014年の診療報酬改定での点数切り下げより以前からその傾向はあった筈です。記事中にも2010年以降の造設数がグラフになっていますが,気になったので自分でもデータにあたってみました。

毎年6月の診療報酬請求が政府統計として保存されているのでそこから胃瘻造設術の回数を拾いました(担当者が代わるためか数年おきにデータの形式や分類が微妙に違っていて,探すのには結構手間がかかりました)。集計したデータをグラフにしたのがこちらになります。

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胃瘻造設術の報酬切り下げが2014年4月ですが,造設数そのものは2007年頃をピークに一貫して減少傾向で,2014年を境に急激に少なくなったとはいえません。少なくとも客観的データからは,報酬が下げられた結果として胃瘻を作らなくなったという解釈は難しそうです。

別の要因としては,2010年頃からマスメディアで胃瘻のネガティブな側面が何度か取り上げられていたという背景が挙げられます。当ブログでも過去にそうした報道について書いています。

胃瘻の是非に関する当方の意見は基本的にこの記事に書いたとおりですが,いずれにしても,胃瘻は「不自然」であり避けるべきものであるという風潮が社会の中に生じたことは強く感じられました。回復する見込みがないのに延命治療に至っている現実に対して社会的背景を掘り下げて議論するのではなく,象徴としての胃瘻を槍玉にあげるだけでは,結局は本記事で紹介されたように胃瘻は回避しても代替手段としてより苦痛の大きな経鼻経管栄養を選ぶことになってしまうのでは…と思います。

 

2017年のまとめ

結局今年もほとんど更新せずに終わってしまいました。年始のエントリと年末の本エントリ,あとは読書感想が1本。昨年の実績ゼロよりはましですが…。それでも恒例(?)ですので「今年の一冊」「今年の一本」を挙げておきます。正直今年どんな本を読んだりどんな映画を見たのか定かではなく,あとで振り返るためにもエントリに残しておけばいい…ということは分かっているのですがなかなか。

 今年の一冊
はっぴーえんど 1 (ビッグコミックス)

はっぴーえんど 1 (ビッグコミックス)

 

 掲載誌の「ビックコミック」は近藤誠氏が原作を担当した某作品で物議を醸したのはまだ記憶に新しいところですが,この作品は自宅で最期を迎える人たち,そして支える医療者を過剰に美化することなく,かつ後味の悪さも感じさせず,先の近藤作品と(比べるのも気が引けますが)同じ媒体,しかも同じ担当編集者とは思えないくらい良質なものでした。

本当は一冊挙げるとしたら「教養としての社会保障」と思ったのですがせっかく別にエントリをあげているのでここでは本作を紹介する次第です。

今年の一本

 最近は映画といっても観るのはアマゾンプライムの旧作ばかりになってしまいましたが,そんな中でたまたまレンタルして見た今年の作品です。ファーストコンタクトものということで,どうしても相手の出方とかその後の展開が気になってしまいますが,本作ではそもそも相手は本当にコミュニケーションするつもりがあるのかを探る過程を丁寧に描いていて好感を持てます。実際仕事でもプライベートでも,コニュニケーションが噛み合わないと感じた場合,そもそも相手にコミュニケーションする意志があるのかどうか…という場面は少なくないわけで,「話せば分かる」のはあくまで結果論に過ぎないのですよね。

というわけで来年は,年末エントリのためにも本や映画の感想をできるだけ残すようにしたいものです。今年一年ありがとうございました。来年も懲りずに訪問して頂けると幸いです。

教養としての社会保障

 

教養としての社会保障

教養としての社会保障

 

  某所で紹介されていたので読んでみました。長年に渡って厚労省社会保障政策に関わり「社会保障と税の一体改革」に尽力した,まさに「中の人」による社会保障政策の解説本です。まず,複雑怪奇な社会保障の話をこれだけ明晰で読みやすい文章で説明できる点だけでも著者の見識と力量が伺えます。 

前半では現在に至るまでの経緯,後半は将来への提言という構成ですが,前半に関しては,社会保障の恩恵を受ける人つまり全ての国民が前提として知っておくべきという意味でも,学校で教えてもいいくらいの内容に思えました。実際には,社会科の公民で扱う社会保障は単なる一項目で,内容も通り一遍なんですよね。

人口が減って社会が縮小していくことを前提にその社会を持続可能にするシステム,というのは,おそらくまだ存在しません。つまり,先例がない,モデルのない世界です。これから私たちがつくらなければならない「人口減少社会を乗り切る持続可能な社会のシステム」は本邦初公開,本邦どころか世界初演,世界史上初の挑戦ということになります。
p252 第III部 日本再生のために社会保障ができること

これ一つをとっても共有しているのといないのでは議論がだいぶ違ってくるのではないでしょうか。

 

現在日本が抱える大きな課題である「財政再建」「経済成長」そして「社会保障の機能強化」はお互いに因果が絡み合っていて,どれか一つではなく同時に達成しなくてはならず,その難題に対する回答が福田内閣から始まり政権交代を経て与野党で合意に至った「社会保障と税の一体改革」ということになります。とはいえ,社会保障というあまりにも巨大で,あまりにも多くの利害が絡まった制度を改革するのは,技術的にだけでなく,政治的にもおそろしく困難だったであろうことは想像できます。「中の人」として具体的な例は出せないのでしょうけど。

改革・制度改正というのは,膨大な調整と説得のプロセスの積み重ねです。ともすれば調整の過程で,一体何のためにこの改革をやっているのか分からなくなることもあります。民間企業でも同じだと思いますが,「事を成す」には強い意志と信念,そして何よりも何のためにそれをやるのかという目標・目的の共有が必要です。

p243 第III部 日本再生のために社会保障ができること

 何年か前に医療崩壊が話題になった頃,どうしたらこの現状が良くなるのか,多くの方が議論されていましたが,各論はともかくとしても,ある程度深く討論していくとどこかでマクロ政策に突き当たってしまい,そこから進まなくなることが少なからずあったように記憶しています。当たり前ですがそれだけ巨大かつ複雑な問題ということであり,単純な解決策などそもそも存在しないのでしょう。そうした難問に向かい合い続ける方々がいることを思いつつ,社会保障を維持するためには医療従事者として,また社会保障の利用者の一人として何ができるか当方も考え続けたいと思います。