2018年のまとめ

あけましておめでとうございます。

いつも年末にはその年のまとめエントリをあげていたのですが今回はすっかり忘れていました。年も変わってしまいましたが,一応恒例なのでやっておこうと思います。

 

2018年の一冊 (ノンフィクション部門)

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

 

 ノーベル経済学賞でも注目された行動経済学ですが,情報の非対称性や不確実性の要因が大きい医療現場でそうした知見を生かそうという発想は自然です。本書では行動経済学の基礎知識(プロスペクト理論,限定合理性,ヒューリスティックスなど)が具体的に解説されていますが,特に意思決定の場面で,リバタリアンパターナリズムの立場から「ナッジ」を医療現場で活用することの意味(単なる誘導とどう違うのか?)に関する一節は,大変興味深いところです。

 正直一冊選ぶのに相当迷ったので,他の候補もご紹介しておきます。

どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

 

 エビデンスとは別のアプローチから患者さんの世界を探索する方法論が新鮮で,一気に読んでしまいした。

 本書は前回(といっても4月ですが)のエントリに取りあげています。リテラシーだけの問題に終わらせていいのかという問題提起が印象に残りました。

 

2018年の一冊(フィクション部門) 

リウーを待ちながら(3) (イブニングコミックス)

リウーを待ちながら(3) (イブニングコミックス)

 

 同じようにパンデミックを題材にした「ファイナル・フェイズ」という作品とストーリー的には重なっていますが,本作は全3巻ということもあって物語はより重層的で,また隔絶された区域の内部だけでなく社会への影響(感染への差別)まで描いています。専門的でありながらちゃんと面白い作品だと思います。

 

2018年の一枚

SOUL SIDE OF TOWN

SOUL SIDE OF TOWN

 

 バンドの要であるベースのフランシス・ロッコ・プレスティアが肝移植,ドラムのデビッド・ガリバルディが股関節の手術で一時離脱していましたが無事復帰,本年結成50年の節目に新作が出るというだけで個人的には十分なのですが,内容にも衰えがみられないのはさすがとしかいいようがないですね。

 

以上2018年のまとめでした。本年も変わらずご愛顧のほどをよろしくお願いします。

 

健康を食い物にするメディアたち

 予約注文してあったのですがようやく読みました。

  健康や医療に関するウソ・不正確な情報とその対応策は長年にわたる課題であり,怪しい健康法やいわゆる「ニセ医療」を解説する数多くの書籍やウェブ記事がこれまでにも世に出ています。そうした解説は専門家の立場で書かれることが多いのですが,本書での著者の立ち位置は,医学部卒業という経歴ではありますがあくまで医療記者(=情報の発信者)であり,それは最終章の提言まで一貫しています。

 健康に関する不正確な情報に人が騙されてしまうメカニズムはウェブメディアでも従来のテレビ・紙メディアでも共通しているのですが,ウェブメディアに関しては検索エンジンアルゴリズムを利用することでユーザーを囲い込む仕組みがあるため,対策がより困難になります。著者はむしろこの点は逆にウェブメディアの強みであり,検索エンジンの運営側に改善の声が届いて状況が劇的に良くなった経緯を踏まえて,声が届くためのムーブメント(情報のリレー)を提言しています。

 情報を受ける側の心構えとしては,リテラシーを身につけることの意義とテクニックについてかなり詳しく解説されています。とはいえ,医療情報に対するリテラシーについてはこれまでも専門家によって繰り返し発信されているわけで,どうもそれだけで問題が解決しそうにないという問題意識も広まりつつあります。おそらくは,受け取る側の不安や怒りといった感情を背景とした認知の歪みも要因なのでしょう。そのあたりの話に関しては本書でも一章を費やしていて,個人的には一番の肝であり,そして気配りを要するところではないかと思いました。

「誰もが医療デマに騙されることのない世の中」を実現しようとするのであれば,科学の言葉が通じなくなる背景を理解しておかなければならない,と私は思いました。

P207 第四章 それでも私たちは、「医療デマ」に巻き込まれる

  この章では,科学技術への疑念からいわゆる「スピリチュアル系」に代表される科学に批判的な言説が生じた経緯を取り上げています。当方含め医療者には目の敵にされがちですが,「科学」と「非科学」という二項対立が分断を助長することはあっても,科学の言葉が届かない問題の解決に寄与しないのもまた確かでしょう。現実的な着地点としては,少なくとも現時点の科学水準でデマと判明している情報は,それによって被害を生じる可能性が高い以上許容しない,という点だけでも共有したいところですが…。

胃瘻造設数が減った理由は?

「終末期」のため口から食事が取れなくなった状況での人工栄養という選択肢について,朝日新聞で取り上げられていました(有料記事ですが登録すれば1日1記事のみ無料で閲覧できます)。

「(胃瘻を作るのに)おなかに穴を開けるのが嫌だ」と仰っていた方が結局は経鼻経管栄養・身体抑制という実例の紹介で,そこに至るまでの意思決定の経緯はどうだったのかとは思いますが,本筋とは別の記述も少し引っかかりました。

寝たきりの患者が胃ろうにすれば、入院費だけで年数百万円かかる。国は批判を背景に14年、胃ろう造設の報酬を約10万円から約6万円(別途加算あり)まで引き下げた。その結果、16年6月の造設数は3827件と、5年間で半減した。

当方の観測範囲では,確かに胃瘻が造設される機会は年々減っていますが,2014年の診療報酬改定での点数切り下げより以前からその傾向はあった筈です。記事中にも2010年以降の造設数がグラフになっていますが,気になったので自分でもデータにあたってみました。

毎年6月の診療報酬請求が政府統計として保存されているのでそこから胃瘻造設術の回数を拾いました(担当者が代わるためか数年おきにデータの形式や分類が微妙に違っていて,探すのには結構手間がかかりました)。集計したデータをグラフにしたのがこちらになります。

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胃瘻造設術の報酬切り下げが2014年4月ですが,造設数そのものは2007年頃をピークに一貫して減少傾向で,2014年を境に急激に少なくなったとはいえません。少なくとも客観的データからは,報酬が下げられた結果として胃瘻を作らなくなったという解釈は難しそうです。

別の要因としては,2010年頃からマスメディアで胃瘻のネガティブな側面が何度か取り上げられていたという背景が挙げられます。当ブログでも過去にそうした報道について書いています。

胃瘻の是非に関する当方の意見は基本的にこの記事に書いたとおりですが,いずれにしても,胃瘻は「不自然」であり避けるべきものであるという風潮が社会の中に生じたことは強く感じられました。回復する見込みがないのに延命治療に至っている現実に対して社会的背景を掘り下げて議論するのではなく,象徴としての胃瘻を槍玉にあげるだけでは,結局は本記事で紹介されたように胃瘻は回避しても代替手段としてより苦痛の大きな経鼻経管栄養を選ぶことになってしまうのでは…と思います。