「反ワクチン記事」とメディアに関する私見

新型コロナウイルスの流行もまだ収束が見えない状況ですが、海外では日本よりはるかに大きな感染者数が出ていることもあり、異例の早さでワクチンを開発、そして実際の接種が始まっています。有望なワクチンについては、日本でも認可され、接種スケジュールが検討されているところですが、そんな中でワクチンに対するネガティブな報道がいくつか続けてあったようです。

新型コロナ「反ワクチン報道」にある根深いメディアの問題(ニッポン放送) - Yahoo!ニュース

佐々木)とても素晴らしいのですが、なぜか日本国内ではメディアの報道が異常な方向に進みつつある。AERAが、

『医師1726人の本音、ワクチン「いますぐ接種」は3割』 ~『AERA』2021年1月25日号(1月18日発売) より

佐々木)……という記事を出しました。“お医者さんなのにわずか3割しか打つ人がいない”ということを書いています。週刊新潮は、

『コロナワクチンを「絶対に打ちたくない」と医師が言うワケ』 ~『週刊新潮』2021年2021年1月28日号(1月21日発売) より

佐々木)……と言う記事を出しました。さらに毎日新聞が、(配信)元の記事はオリコンニュースなのですが、 『新型コロナワクチン、6割超「受けたくない」女子高生100人にアンケート』 ~『オリコンニュース』2021年1月20日配信記事 より

佐々木)……と。女子高生に聞いてどうするのかと思うのですが

飯田)サンプルも100人では全体を表しませんし。

佐々木)さらにTBSは、

『「自分たちは実験台?」ワクチン接種優先の医療現場から不安の声』 ~『TBS NEWS』2021年1月21日配信記事 より

佐々木)……という報道をしています。毎日新聞、TBS、AERA朝日新聞です。そして週刊新潮という、いわゆる新聞、雑誌、テレビから続々と反ワクチンの記事が登場しているという異常な状況になっているのです。

反ワクチンといってもワクチンを正面から否定するような極端な論調ではなく、なんとなくワクチンに抱いている不安を増幅するような感じですが、ヒトパピローマウイルスワクチンでの「実績」を思い出せば、メディアの影響によって接種率が落ちてしまい、結果として収束が遅れてしまうことは当然懸念されます。

なぜメディアがそうした記事を出すのかについては、

佐々木)もちろん会社としては儲けなくてはいけないというのはありますが、毎日新聞出身でずっと社会部で記者をやっていた身からすれば、そこまで金のことは考えていません。それぞれの記者、もしくはデスククラス、彼らがいちばん重心を置いているのは「社会正義」なのです。ですから、今回の問題はお金や利益のためという話ではなくて、「歪んだ社会正義の問題」なのです。

飯田)なるほど。

佐々木)ではなぜこの歪んだ社会正義、反ワクチンに行ってしまうのかは、なかなか分析が難しいのです。個人の経験から言うと、高度経済成長があった1960年~1970年の時代、日本は「電子立国」という言葉もあるくらい、テクノロジー中心で社会を回していた。1970年の大阪万博で「人類の進歩」、「科学万歳」と謳った世界で来たわけではないですか。それはそれで、我々の国に豊さをもたらし、経済大国になったのだけれども、それに対して批判的な姿勢を持つメディアというのが、当時の基調だったのです。

>飯田)豊かさは物質だけではないと。 

ということで、マスメディアはかつてのテクノロジーへの批評が成功体験となったまま変わることができないのではとの分析で、個人的には納得できるところだと思います。いわゆる「ハンロンの剃刀」でいうところの、医療を否定しようとする「悪意」よりは、現状を認識できない「無能」で説明すべきということになるのでしょうか。

悪意ではなくよかれと思ってやっているとすれば、損得勘定では動かないので、むしろ行動変容は難しいのだろうと思います。強固な成功体験から脱出するためには、結局世代交代を待つしかないのかな…とも思います。そのためには、旧世代の価値観に囚われていない記者が自身の組織の内部にいる「権力」と闘う必要があるし、専門家が記事の不適切さを地道に指摘することは、そうした世代交代を後押しする力になるのかもしれません。

日常と非日常

新型コロナウイルスに関して専門的なことを書くような力量はありませんが,このあたりであくまで個人的な記録を残しておくことにします。

中国で新型の肺炎が発生したという記事が載っていたのが昨年の大晦日でした。限られた地域で終わるのかな…と思っていたらあっというまに流行は国境を越えて広がり,2月には寄港したクルーズ船内での発生,3月にWHOからパンデミックが宣言され,4月には政府から緊急事態宣言がなされています。発生数の急増とともに医療崩壊が懸念される一方,予定されていた行事や活動はすべて中止,外出も憚られ,あまりの急展開に非現実感も漂います。

感染拡大そのものについては,保健所をはじめとする公衆衛生関係者,医療現場,そして疫学の専門家による尽力と,社会活動の低下に対する忍耐,そしておそらくは日本に特有な未知の要因によって何とか感染爆発は抑えられ,ピークアウトが見えてきたのが現状です。

とはいえ新しいウイルスが一筋縄ではいかない代物で,流行を抑えるためにはどうやら以前のような日常にすぐ戻るわけにはいかないらしいことも分かってきました。単に非日常から日常に戻るというよりは「新しい日常」に着地することを目指すことになるとして,しばらくは落ち着かない日々が続くのでしょう。短期間ならどうにか耐えられても,長丁場となると不満が出てくるし,専門家とそれ以外の方々とのリスクコミュニケーションはむしろこれからが難しい局面となる気がします。

人生という名の会議

小籔さん起用の「人生会議」ポスター、批判受け発送中止:朝日新聞デジタル

人生の最終段階でどんな治療やケアを受けたいかを繰り返し家族や医師らと話し合っておく取り組みの普及啓発のために厚生労働省が作ったポスターに批判が多く寄せられている。厚労省は26日に予定していた自治体への発送をやめ、ホームページへのPR動画の掲載も見合わせた。

 厚労省が意思決定のプロセスであるアドバンス・ケア・プランニング(ACP)の日本版として「人生会議」を社会に周知するためのポスターが炎上しているようです。ポスターで伝えようとしている「余命の少ない患者さんが自分の望みをあらかじめ家族に伝えておけばよかったと後悔するストーリー」も確かにACPの一面といえますが,そこをことさらに取り上げたことが批判されているのだろうと思います。「人生会議」というくらいなので,死の間際だけでなく人生の節目節目で対話がなされるほうがいいし,結論として「家に帰る」が前提とは限らないわけですから。

 そもそもACPを導入したらそれで本人も周囲も納得できる結末を迎えられるのかといえばそんな単純な話ではなく,今でも最後まで迷ったり後悔しながらも何回も話し合ったのだからこれでよかったのだ,とせめてもの納得を得る…ということはあるでしょう。そうした人にとってあのポスターが「よく話し合わないから後悔している」というメッセージになると,大変つらいことになってしまいます。

 記事中でも指摘されているように,厚労省としては社会に「刺さる」ような広告にしたかったのでしょうけど,もともと意思決定のプロセス自体は実際のところ個別性が高い上にやっていることは地道な対話なので,インパクトのある絵面とは根本的に相性が悪い気がします。どうしてもやろうとすればあのポスターのように一面的なメッセージになってしまうのでしょう。ACP自体がそうであるように,社会に対しても地道な周知を続けるしかないのかもしれません。

 

参考:

「人生会議」してみませんか|厚生労働省 現在修正済み

厚生労働省の「人生会議」PRポスターに抗議しました of 卵巣がん体験者の会スマイリー

アドバンス・ケア・プランニング いのちの終わりについて話し合いを始める(PDF)