誤解を招く医学用語

医師と医師の間では例えば病名一つをとってもその背景因子や臨床経過あるいは治療・予後について共有している認識がありそれらをいちいち説明する必要はありません。そうした共有認識は医師としての経験を積む過程で蓄積されるものです。なので医師患者間で医学用語を解説なしに口にしたときは誤解を招く可能性があり,出来る限り配慮したとしても面談の限られた時間で患者が確実に理解するのは大変です。この辺が社会的に広く認識されるとお互いに誤解が少なくてすみそうなのですが。


患者の誤解招く用語も 読売新聞 2007年2月7日

 「標準治療」とは、英語の「スタンダード・セラピー」の訳で、大規模臨床試験で効果が証明された、その時点で最も成績の良い治療法のこと。だが、患者委員たちは「〈並の治療〉と捉(とら)えている人が少なくない」と口をそろえる。


いままでこういうことは意識していませんでしたが,確かにそうとられても仕方がないのかも知れません。専門用語には外国語直訳が多いからこういうことが起こりやすいとは言えるでしょう。こういう指摘は医師側にも患者側にも有益だと思います。


ただこの記事に苦言を述べるなら,

 うな重の「並」「上」「特上」にたとえると、「並」より「上」の治療を受けたいと思うのが人情だ。このため、本当は「上」にあたる標準治療を受けているのに、「並の治療では心配。新聞やテレビで紹介された〈最新治療〉が受けたい」という患者会への相談が多いという。〈最新〉と呼ばれる治療法は、研究中で、効果や安全性が科学的に証明されていないものだ。


「最新治療」を紹介するのであれば現時点でまだ臨床に応用されていない点をきちんと説明するべきで,それは報道機関の責任であって専門用語の問題ではないでしょう。所属講座で研究中の遺伝子治療が「夢の治療」として新聞で紹介されると「あの治療を受けたい」と来院する方が必ずいて,説得するのに骨が折れます。


ちなみに本田麻由美氏は読売新聞の医療記事で良くお目にかかる方で,ご自分が患者になってようやく医療の限界を認識されたという記事を以前拝見したことがあります。医療問題の講演会等にもパネリストとして参加されているようですがせめて医師-患者間の誤解をこれ以上深くしないようにとお願いするばかりです。


以下は記事本文。

患者の誤解招く用語も
本田 麻由美記者

 「『標準治療』という言葉を多くの人が誤解してるんです」「それが、患者と医者の意思疎通を邪魔してる。別の言葉に変えられないのでしょうか」――。がん対策情報センター運営評議会ワーキンググループ(WG)の会議で、何人かの患者委員からこんな声が上がった。

 このWGは昨年末、分かりやすい情報提供の手法を考えるため、患者・家族ら15人と国立がんセンター職員とで発足、私も参加している。

 「標準治療」とは、英語の「スタンダード・セラピー」の訳で、大規模臨床試験で効果が証明された、その時点で最も成績の良い治療法のこと。だが、患者委員たちは「〈並の治療〉と捉(とら)えている人が少なくない」と口をそろえる。

 うな重の「並」「上」「特上」にたとえると、「並」より「上」の治療を受けたいと思うのが人情だ。このため、本当は「上」にあたる標準治療を受けているのに、「並の治療では心配。新聞やテレビで紹介された〈最新治療〉が受けたい」という患者会への相談が多いという。〈最新〉と呼ばれる治療法は、研究中で、効果や安全性が科学的に証明されていないものだ。

 こうした誤解の背景には、一般的な印象が強い〈標準〉より、特別な語感がある〈最新〉の方が良いはずだ、という思い込みがある。そんな言葉の響きが不信感につながっている現状は、患者にも医師にも不幸だ。これは、がんに限ったことではなく、アレルギー患者会の代表も、「私も誤解していたのよ。分かりにくいわ」と言う。

 患者が誤解しがちな言葉は、このほかにもある。

 「姑息(こそく)的治療」は、がんを治すことはできないまでも、つらい症状を緩和して、生活しやすくする治療のことを言う。例えば、病状が進んで根治が難しい胃がんでも、食事ができるような手術をすることなどで、「姑息」という語感は悪いが、患者から見ると大切な治療だ。

 また、「医療用麻薬」は痛みを取り除くモルヒネなどのことだが、「麻薬」という言葉に抵抗があるためか、日本では使用量が少なく、痛み緩和の治療が進まない一因になっている。

 こうした医学の世界で使われている言葉を、患者視点でわかりやすく言い換えることも、検討すべきだと思う。だが一方で、定着しつつあるのだから、本当の意味を知ってもらえばかまわない、という人もいる。皆さんはどう思われるだろうか。
(2007年2月9日 読売新聞