「真実」の究明4


奈良・妊婦転送死亡:遺族、大淀町と担当医提訴 「異常見過ごした」(cache)
MSN毎日インタラクティブ 2007年5月24日


提訴に関する各社の報道を見守っていましたが,基本的に原告側の訴えを客観的に伝えるだけの簡単な記事がほとんどでした。裁判はこれからということなのでしょう。確認した中では唯一毎日新聞だけが「解説」としてコメントを加えています。この件に関しては毎日新聞はもはや半ば当事者といってもいいのではないかと思うのですが,あくまで報道機関としての「解説」です。

 奈良・大淀病院の妊婦死亡問題は、遺族と病院側が法廷で争うことになった。現状では、遺族が死亡の真相を知るには民事訴訟しかないからだ。裁判になると、原告、被告双方の目的は勝つことになるが、悲劇を繰り返さないため、病院には遺族と協力して真相究明する道を模索してほしい。


裁判とはお互いの正当性を裁判官に主張し,裁判官が妥当であると判断したほうが勝つわけです。というように当方は裁判というものを解釈しているのですが,お互いがみずからの正当性をかけて戦う場において「協力して真相究明する」とは何を意味するのでしょうか。協力するためにはどちらか一方あるいは双方がみずからの主張を曲げなければなりません。とはいえ「協力して」の主語が「病院」となっている以上,どちらの側にそれを求めているのかは明らかです。遺族側と病院側の主張が異なった場合には常に病院側の主張が誤っているということなのか,正しいと認識していても主張するべきでないということなのかは不明ですが,いずれにしても正常な裁判のあり方ではありません。ましてや「真実」の追求する手段としては適切でないと思います。