専門性へのリスペクト


医師として臨床医療に携わっている以上は当方も専門家の端くれということになります。報道をはじめとした言論を生業としている方や政策に携わっている方からネットで発言されている一般の方に至るまで,医療問題に対して発言するのを見聞きしていると,もちろんきちんと問題の背景を理解した上で実情に即した意見だと納得することもあるのですが,残念ながら首を傾げてしまうような内容も少なからず見受けられます。というか,率直に言ってツッコミ所満載であることが多々あるといっても良いでしょう。


ということを前々から感じていたのですが,分野は違えども同様の問題が指摘されているブログを先日拝見しました。


Baatarismの溜息通信 - 専門性の敗北?

そして専門的知見を無視した結果、日本では数多くの問題が発生していると思います。このことは教育やコミュニケーションだけではなく、政治や経済の分野でも言えると思います。


ここで取り上げているのは主に教育や報道についてですが,医療,経済,軍事についても同様ではないかとのご指摘です。確かに医療問題に関して専門的とは言えない議論が幅をきかせているのを見ると,他の分野も同じような状況であってもおかしくないとは思います。他国の状況はよく知らないので日本は...と一括りにして良いかどうか分かりませんが,やはり専門性に対するリスペクトはもう少しあっていいように思います。


よく見かけるのは「専門家の判断は一般社会の感覚から乖離している」という主張です。たいていそうした主張に引き続いて非専門家の意見も取り入れて云々という話になるのですが,こうした流れには個人的に違和感を感じます。専門家の議論が閉鎖的になるのは好ましいことではないし,外部からの関心が高まることは確かに重要だと思います。非専門家の方はまず土俵に乗るための努力が必要となりますから,専門家はそのために最大限協力すべきですし,その上で非専門家の意見に耳を傾ける意義はあるでしょう。ただ,そうした努力の上でどうしても越えられない壁があって,それが専門家の専門家たる所以だと思うのです。その壁を強引に乗り越えて非専門家の感覚を持ち込むと,大概は良い結果にはならないようです。少なくと医療の専門分野に関してはそう思います。


逆に言えば当方が医療以外の分野,特に専門性の高い分野についてコメントするときは基本的には素人レベルの意見であることは自覚しなければならないのですが。