集落は仮想「病院」という発想


集落が「病院」自宅は「病室」(cache) - 読売新聞 2007年9月25日

 拳ノ川地区で疋田さんが診てきたお年寄りたちは、一様に最後を自宅で過ごすことを望んだという。疋田さんは、集落全体を「病院」、住民の自宅を「病室」に見立て、「自宅に“入院”している患者を診て満足死を支えよう」と考えてきた。


集落=仮想「病院」,自宅=仮想「病室」という発想は訪問医療をやっていて何となく理解できなくもないのですが,実際は「病院」の範囲はかなり広大で「病室」の設備も整っているわけでもなく「病院」を支える医療スタッフも圧倒的に少ないとなれば,とても実際の病院を代替できるものではありません。かつてと比べて弱体化してはいるとはいえ,何かと面倒を見てくれる「ご近所さん」「お隣さん」に支えられているケースだって結構あります。疋田医師としてもあくまで「もののたとえ」のつもりで,本気で病院と同等とは考えてはいらっしゃるわけではないでしょう(たぶん)。

ただ厚生労働省の中のひとは,とにかく入院→在宅への誘導の一本槍で,本気で集落=仮想「病院」/自宅=仮想「病室」構想(妄想?)を抱いているんじゃないかと心配になります。一例として,今年度の厚生労働白書には次のような記述があります。

 このため、都道府県は「地域ケア体制整備構想」の中で、地域のケア体制の整備の方針を盛り込むこととされているところであるが、そこでは、地域の見守りを伴った、高齢者の生活に適した住宅を整備するなどの住宅施策を進めていくことが重要となる。その際には、過疎地域・山村地域におけるサービスの効率的な提供に向けた住み替えの必要性、高齢者の集住しているエリア(ニュータウン地域、公営住宅など)における食事、安否確認、緊急通報などの支援システムの在り方などについても検討する必要がある。


平成19年版厚生労働白書 第4章 p122


「住宅を整備して住み替えを検討する」というのは,おそらく在宅介護専用の集合住宅を想定していると想定されます。在宅介護を受けるなら集まっていた方が効率的だろう,ぐらいの考えなのかも知れません。要するに僻地の高齢者を「移民」させて,集合住宅=仮想「病院」化する案です。ある意味ハコモノ主義の発想ですね。

同居家族の努力と限られた介護サービス給付だけでは手が回らない状況で,この構想(妄想?)を導入すれば,わずかに残った地域コミュニティによる相互扶助すら完全に破壊されます。訪問医療や訪問看護の効率が少しばかり良くなるとはいっても,介護サービス給付がよほど充実しない限り同居家族の負担が増えるだけでしょう。

ただし,高齢者は一般論として住み慣れた土地をそう簡単に離れません。厚生労働省は高齢者の現住地に対する執着を甘く見過ぎています。残念ですがそのような構想(妄想)が実現する可能性は低い,と個人的には思います。