後期高齢者という線引き


医療を初めとする社会保障の財源は無尽蔵ではありませんから,適切な配分を行うのは必要なことです。医療資源を適切に配分するということは,有り体に言えば医療を受けられる方と受けられない方のあいだに「線引き」を行うことに他なりません。それを決めるのは,個人の権利と医療システム維持のバランスを勘案した,政治的な判断ということになります。


個人的には「治療を行ったことにより患者がどれだけ利益を得られるか=治療により期待される効果」と「治療を行わなかったことにより患者がどれだけ不利益を被るか=治療の必要性」が線引きの大きな基準であると考えます。つまり,もっとも優先して医療資源が投入されるべき患者は「治療を受けないと助からないが治療を受ければ助かる可能性が大きい」場合であり,「治療を受けなくても助かる場合」や「治療を受けても助からない場合」は優先順位は低くなる*1ということになります。


これは,当方の知る範囲で一般に医療者の取る立場から大きく外れていないと思います。もちろん現場での判断には,患者側の自己決定権や医療の不確実性が絡んできてこんなに単純ではないのですが,例えば災害時や救急医療でのトリアージにおいては救命の可能性と処置の必要性が判定の主要因子となっていますし,平常の医療においても比較的時間的猶予があって選択肢が増えるとはいえ,常に効果を評価しながら必要な方針を検討していくのが普通のやり方です。


例えばある高齢者が身体機能が低下した上に状態が悪くなった場合に,輸血,人工呼吸器や血液透析といった医療を行わないという判断は(もちろん患者側の同意の上で)あり得ます。その根拠は,そうした濃厚治療により状態が回復する可能性が非常に低いから,という医学的判断であって,単純に高齢だからやらないとか,社会に貢献していないからという理由では決してない筈です。


ここで本題ですが,今年の4月より後期高齢者医療制度が施行されます。この制度における「後期高齢者」という線引きは75才という年齢だけで決まっていて*2,個人的に最も違和感を感じるのがこの点なのです。名目は「世代間の医療費の負担を明確化し,公平で分かりやすくしていく」ために「独立した『後期高齢者医療制度』が創設されます」(医師会から当院に送られてきたパンフレットより)とのことですが,結局のところこの制度によって「後期高齢者」の方々が受けるメリットはありません。


当方の理解では,本来医療費が多くかかる「後期高齢者」の財源を別立てにするということは,その枠内での個人負担が将来的にはどんどん増えていくことになります。それを抑えるために,包括医療やかかりつけ制度が「後期高齢者」限定オプションとして追加されるという方針です。これらは結局医療側の手足を縛って医療費を抑えるという発想ですから,提供できる医療の質は間違いなく落ちるでしょう。言い換えればある世代全体に対して医療資源を投入する優先順位を下げるということになります。


こうした「線引き」のやり方は,冒頭であげたような,治療により期待される効果と治療する必要性を勘案した「線引き」とは似て非なるものです。当方の個人的見解としては,単純に「後期高齢者」として医療制度を別枠にすることは倫理的に許されない発想である,と考えます。こうした考えがもし当方の独善でなく,「後期高齢者」そして「後期高齢者」予備軍である国民が広く認識しているとすれば,今度の衆議院選挙はただでは済まない筈だと思うのですが…。

*1:優先順位が低いケースに治療が必要ないという意味ではなく,治療を受けられるかどうかは供給できる医療資源の総量による。

*2:正確には65才以上で寝たきりの方も含まれる。