社会保障のスキマ


先日往診依頼があった事例。医療も介護も必要な状態でしたが今まで病院を受診したことはなく,高齢の同居家族はどこに相談して良いかも分からず,救急車を呼ぶのもためらわれ,かといって自力で病院へ本人を連れて行くことも出来ず,仕方なく数か月のあいだ一人で世話していたとのことです。それもいよいよ限界になって当院に依頼してきた模様。

この方の無知を責めるのは簡単ですが,具体的な事情を知っているので,少なくとも当方はその気にはなれません。世の中には必要以上に救急外来を利用して顧みないようなひともいる一方で,今回のように社会保障サービスのスキマから抜け落ちてしまう事例を目にすると,何とも形容しがたい気持ちになります。

社会福祉のうち「公助」を減らしたい立場の方は「自助」や「共助」をしきりに強調しますが,現実には,高齢者の独居や夫婦2人暮らしが多くなって「自助」はすでに困難であり,「共助」としての地域のコミュニティも崩壊する一方です。それでも「公助」は削減され,当然の帰結として,少し前から「介護殺人」や「介護心中」などの数々の悲惨な事件が現実となっているわけで,もはや最近では珍しくもなくなりつつあります。

まあ,社会の構造が変わってきているという話でもあるので,社会保障政策だけに責任を負わせるのは無理があるのかも知れません。結局は,「世間」がそういう方向からあえて目をそらしているのか,そこまで気を配るほどの余裕がないということになるんでしょうか。