専門性と中立性


専門領域で問題が生じたときに,その原因と対策について議論するのは専門家の方が適任である,というのは妥当な考えだと思うのですが,メディアを通した言説を聞いていると「専門家だけで討論するのは適切ではない」という立場もあるようです。


例えば,大野病院「事件」の無罪判決翌日の読売新聞社説では次のような一節があります。

刑事責任を問うべきほどの事案かどうかは、まず中立的な専門機関で判断した方がいい。厚生労働省が検討中の「医療安全調査委員会」の創設を急ぐべきだ。
厚労省の構想では、医療安全調査委は中央と地方ブロックごとに設ける。メンバーは医師だけでなく、法律家や他分野の有識者も加え、中立性を図る。

産科医無罪 医療安全調査委の実現を急げ(8月21日付・読売社説)

ここでいう「中立」とは利害関係のない第三者を含めて議論することを指していると思われます。例えば,ある企業が不祥事を起こしたときに,評価をすべき「調査委員」が当該企業と利害関係のあるメンバーで構成されていたとしたら,これは不適切と言われても仕方ありません。


医師だけでは中立性に欠ける,ということは,問題の当事者のみならず医師という職種は利害を共有しているので,医師だけに任せておくと適切な調査結果が出ない,ということになるんでしょうか。当方など「医師ほど協調性がなく,統一した見解を出すのが苦手な集団はない」と思っているくらいなのですが,外部からの見え方は異なる,ということは現実として受け止めなければならないのでしょう。


一方「調査委員会に医師以外のメンバーが入るのは受け入れられない」というのもまた極論でしょう。医療を結果論で評価することが無意味であることを理解されている方は医師以外にもいらっしゃるでしょうし,逆に医師であっても,現場から離れて医学書の記述を根拠に他の医師を評価することは害悪以外の何物でもありません。医師と同等に議論することは難しくても,オブザーバー的な参加はありという考えもあっていいと思います。


これは当方の私見ですが,「医師だけでは駄目」という意見にしても,「医師以外の参加は駄目」という意見にしても,方向は真逆ですが,根底にあるのは「お前たちの言うことは信用できない」という不信感であり,見方によってはその点に関してのみ一致しているとも言えるわけです。逆に言えば,そこまで立ち返らない限り,結論が出て表面的に解決したとしてもまた違う論点で対立することを繰り返すだけで,双方にとって建設的な議論*1はできないような気がします。


 

*1:そもそも建設的な議論など不要という考えかたもあるんでしょうけど。