出羽の守


医療だけに限りませんが,自国の制度に関する議論をしていると「海外ではこのような優れた制度がある。日本も取り入れるべきだ」という意見が出てきます。もちろん日本より優れた実績を出している制度はあるでしょうし,その制度が一方ではどのようなデメリットを生み出しているのか,そしてそれが許容される社会的背景はどういうものかに関しても検討した上での議論であれば,十分に有用です。逆に言えば,制度のメリット・デメリットのバランスやそれが成立している背景を省略して,メリットだけを強調するような主張は,制度のあり方に関する議論をミスリードする可能性が高いように思います。


現在厚労省研究班において「安心と希望の医療確保ビジョン」から派生した「医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期臨床研修制度)のあり方に関する研究」が行われていますが,その議事録を拝見していると,外国,特に米国の制度を取り上げて,診療科や地域の偏在を是正するための医師研修制度の方向性を議論しているように見受けられます。ただ考えてみれば米国の医療の場合は徹底した分業化がされていて,専門家が自分の分野に専念できるという背景があるわけで,そこは軽視すべきでないでしょう。


中には,次のような発言をしている先生もいらっしゃいます。

○有賀 大変有意義な議論が展開していますので、せっかくなのでちょっと横やりを入れるような意見です。

実はですね、開催要項の2行目に「我が国の土壌にあった」と書いてありますよね。この土壌と書いてあるところが極めてキーワードででしてですね、日本救急医学会が、救急専門医がどれくらいかという話でいけば例えば救命救急センターの数がこれくらいなのでどうだとか、それから臨床研修の必修化に伴って研修医を教えるためには少なくとも救急の専門医が体系的に教える必要があるとすれば何人ぐらい必要だ、だからとてもたくさん足りないね、とここら辺の議論はいいんですよね。ところが、私が卒業してしばらく研究した脳神経外科というところにいきますと、この「我が国の土壌にあった」という議論になってしまうんですね。つまり脳神経外科医は、米国やヨーロッパと違って、かなり外来でもしているし、その後の仕事もしているわけですね。ですから例えば専門性でいけば、神経放射線というのがあるじゃないですか、診断学にキーになるような。それも私たちはやっている。それから手術した後のフォローアップももちろんやっている。だから従ってリハビリテーションにも首をつっこんでいる、という話がありまして、実はですね、この「土壌にあった」という話が出てきた途端に、私たちの学会ではこれだけのことが必要なんだという話になって、とてもたくさん足りないね、という話が山ほど出るんですね。ですから、手術場だけで仕事をさえしててくれればいいんだよと言ったとしても、なかなか地域地域に応じて、田舎に行けば行くほどそうは問屋がおろさなくなって、で今の話がグルグル回るんです。

医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期臨床研修制度)のあり方に関する研究 第1回班会議 会議録


ここで示されたように専門外までカバーせざるを得ないあたりの事情は,実際の数以上に医師不足感を生じている要因のひとつであり,議論の重要な鍵でしょう。この発言以降の議論は「専門バカはよくないので我が国の土壌にあった制度を」云々という流れになりますが,個人的には「アメリカの優れた点」と「我が国の土壌」を都合良く使い分けているようにも見えてしまいます。まあ,年内まで議論は続くようなのでもうすこし行く末を見守る必要はあるんでしょうけど…。