当たり前のこと


昨夜放送されていたドラマ「風のガーデン」を観ていたら,自宅で最後の時を迎えようとしている患者さんのもとに遠くから親族が訪ねてきて,苦しがっているのに驚いて救急車を呼ぼうとして一悶着,という場面がありました。患者さん本人と同居する家族は比較的時間をかけて近付いてくる「死」と向き合うことができるのに対して,「死」を受け入れる準備ができていない方との衝突という図式です。当方の狭い観測範囲だけで世間を語ることはできないでしょうけど,在宅関係者の集まりで話をしていると,似たような経験はよく耳にします。在宅だけでなく,病院でもそれに類した話はよく聞きます。おそらくは世の中の多くの方にとって「死」は非日常ということなのでしょう。


その一方で,産科医療崩壊に関する報道やいろいろな意見を見聞きしていると,出産が無事に終わって母子ともに健康であることが当然の前提とされているのではないかという印象を受けることが多々あります。もちろん何事もなく生まれてくることを望む気持ちはあって当然でしょうけど,出産という自然の営みに際しては人知ではどうしようもならず,何らかの障害を生じたり,時には不幸な結果に終わることもあるのが現実です。当然と思っていた「生」とそんな現実のあいだにギャップが生じたとすれば,それを受け止めることができないこともあるでしょうし,それが産科医療の現場にとってはある種の圧力になっている面もあるかと思います。


同じように人生の重大なイベントでありながら,「生まれてくること」は当たり前であり,片や「死ぬこと」は当たり前ではないと認識されているということになります。考えてみれば不思議な気がしますが,そのあたりの理由を文化社会的に考察してみるのも興味深いかも知れません。