分断統治とはしご外し

イノセント・ゲリラの祝祭

イノセント・ゲリラの祝祭

海堂尊氏の新作です。以前の著作「死因不明社会」の小説版といった趣で,医療事故調査機関の設立を巡る厚労省と司法側,医療側の軋轢をデフォルメして分かりやすく描くにはフィクションの方がやりやすいということなんでしょう。

ここにきて検討会が内包する対立構造が露顕した。現場で医療再建に思いを馳せるブルーカラーと,高見から小手先でシステムをいじることに腐心する医療門外漢のブルジョア階級。医療界対法曹界の変形した階級闘争だが,気づいているのはおそらく俺ひとりだ。


p310

こんなのもフィクションの中のセリフを借りないとなかなか書けないんでしょうね。


当方はこれまでの議論から死因究明の手段としてエーアイと解剖はお互いに補い合う存在であり対立する概念ではないと理解していましたが,本作のなかでは法医学者が解剖という既得利権に執着してエーアイを過小評価する敵役として描かれています。

「この間の検討会でも思ったんだが,検討会では法医と病理がいがみあっていて,何も進まなかった。同じ解剖同士でもあんなに縄張り争いが激しいんだから,新参者のエーアイが割り込んだら,解剖大好き連中がかみついてきそうな気がするんだが」
「そのとおりです。僕はこれまで,エーアイと解剖の協力体制の確立を築くべく活動してきたんですけど,『解剖至上主義者』は画像には必ず解剖を併用しろ,と主張するもんで,一向に進展しないんです。仕方ないので連中を阻害因子と割り切って,敵(エネミー)に認定しました。連中が『解剖至上主義』なら,こっちは『エーアイ中心主義』と名乗ります」


p235

このあたりは登場人物の言葉を借りて著者の主張をしているようにも見えますが,そう考えれば海堂氏が著作「死因不明社会」でなぜエーアイと解剖をことさら対立させて論じていたのだろう,という疑問にも少し納得がいきます。本来であれば,医療事故を調査するマンパワーと財源が圧倒的に不足しているにも関わらずその上に調査機関を設置しても本質的な問題解決とはならない点が追求されるべきところが,それ以前に医療側が分断されて争っていることへの嘆きがあるのかも知れません。


ところで現実の「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」はどうなっているかというと,2回の試案と大綱案まで作っているのに,今頃になって「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」の評価をしている有様。普通に考えれば「モデル事業」での成果を踏まえて調査機関の体制を議論すべきなのに,既定路線が固まって試案まで作ってから呼ばれて報告するなんていうのは,「はしご外し」以外の何者でもありません。また実情を報告すれば,現状の体制では対応できないことは当然明らかになる筈ですが,厚労省担当のコメントはといえば,

医療事故の原因を調べる『医療安全調査委員会』が国の組織として設置された場合には、もちろん国が支出する。ただ、医療機関から届けられたすべての事例について、(解剖して評価結果報告書を交付するような)“フルの調査”をするかどうかは、今後の検討課題だ

死因究明の平均費用、1件約94万円 - CBニュース

とのことです。「現状だと厳しいようです」に対して「ご苦労さん。帰っていいよ」と言われているも同然ですが,協力された先生方は怒っていいんじゃないでしょうか。