過剰反応によるデメリット


海外渡航中に新型インフルエンザに感染したことが判明した方々に対する過剰反応の一端が先日報道されていました。「帰ってくるな」とか「なんで旅行なんか行ったんだ」なんていう発言は,住民すべてを代表するものではないにしろ,冷静さとか理性的な判断とはおよそかけ離れたものです。個人的にまず考えたことは,これだけ容易に感染者の個人情報が漏れてしまうことが世間に知れ渡ったわけですから,今後は新規の発症者や国内感染例が周囲からのバッシングを恐れて隠れてしまうんじゃないだろうか,ということです。たとえば体調が悪くてもそれを他人に相談できず,そのまま職場に電車で出勤したり,学校に登校し続けるかもしれません。それはもちろん不適切な行動なんですが,対策を考えるのであればそれが悪いと責めるよりも,人間というのはある状況におかれた場合そうした行動を起こす,ということを前提にするほうが現実的です。


感染が隠されるような風潮になれば,感染の拡大を助長するだけでなく,何より正確な状況を把握することが難しくなります。そういう意味で今回情報の漏洩と拡散という行為の罪は重いと思います。当方の身を振り返ってもそうですが,人間何だか分からないことに直面すると不安と苛立ちを抱くものです。それを軽減するためにも「ではどうしたらいいのか」という明確で具体的な指標を行政が示して,メディアがそれを過不足なく伝えることを望みます。


今に始まった話ではありませんが,速報性を重視するあまり断片的な情報を流したり,おどろおどろしいBGMを背景にして感情に訴えるようなメディアに問題があるのは確かです。既存メディアそのものも苦境にある中で「数字」のとれるコンテンツは魅力なのでしょう。とはいえ,あまりに社会不安を引き起こせばそうした報道そのものが有害であるという意見に説得力を持たせることになりますし,その結果として報道管制ということにもなればメディア自身の首を絞めるだけでなく,本来の意味での「知る権利」が奪われることで視聴者や読者にも大きなデメリットになるのではないかと危惧します。ここは是非,メディアが自律的に自らの過剰反応を抑えるべきでしょう。


追記(2009-05-19 13:30)

rijin先生のところで不十分な取材により社会不安を招くおそれが高い事例が紹介されています。論文の要約だけを読んで記事にしたということなんでしょうか…。確かにこれでは報道しない方がまし,というレベルに思えてしまいます。