「SiCKO」は終わらない2


アメリカでは医療保険改革法案の成立があいかわらず難航しています。議会を通したまではよかったのですが得票のために様々な妥協が重ねられた結果,今度は上下議院それぞれの法案を調整するのが困難になっている模様です。さらに,先日行われた補欠選挙民主党候補が敗れ,共和党による議事妨害が可能になるとのことです。つまりは,議会の中でも賛成・反対が拮抗したなかでようやく法案が成立しそうなところで,かろうじて保っていたバランスが崩れてしまったことになります。まだこれから議会のなかで得票工作がされるんでしょうけど,かなり先行きが怪しくなってきたのは確かでしょう。


以前のエントリで,社会保障に対する公的保険にここまで根強い抵抗があるのはアメリカ国民に根源的な嫌悪感があるのではという感想を述べましたが,最近,社会保障制度の成り立ちそのものがほかの国家と違うのではないかという興味深い考察を拝見しました。

vol 13 ボストン便り(9回目) アメリカ市場化医療の起源 - 医療ガバナンス学会

アメリカでは1910年から1930年代までの間、企業資本家が近代医学に基づくアメリカ医療の基礎を形作ってきました。これは、どれが正統な医療でどれがそうでないかを国家が決めてきた、日本を含めた他の多くの国と大きく異なる特徴でした。
ただし、第二次世界大戦前後から、アメリカの医療にも国家が次第に介入してくるようになってきました。医療は健康な兵士を戦場に送るため、負傷した兵士を回復させるためのものとしての利用価値を、国家が認めるようになったからです。そこで連邦政府は、かつて医療において指導的であった財団の地位を奪いとって、医療を管理下におきました。
しかし、それまでに培ってきた企業資本家に資する医療という形は既に強固に出来上がっており、今でもアメリカ医療は、病院、医学校、保険会社、製薬会社、医療材料会社、医療市場など資本主義の利益団体(中には非営利団体の顔をしているものもありますが)の手中にあるのです。

ロックフェラー財団が云々…と聞くとなんだが怪しい陰謀説かと思ってしまいますが,最後まで読むとそんなに変なことは言ってないように思えます。社会保障制度が成立する背景として国力を高めるためには健康を増進しなければいけないという要請があるのはどの国でも同様ですが,そのときにまず介入したのが政府ではなく企業だったというのがアメリカらしいといえばらしい,というところでしょうか。医療保険制度法案が難航しているのは,不況下で負担を嫌う世論も当然のことながら,そもそも現行制度との相性が悪い面もあるのかもしれません。