「コンビニ受診」とは何か

個人的には,医療崩壊の原因は医療に対して理念の上でも物理的にも実現不能な要求がされていることだと考えています。その意味では「コンビニ受診」はそうした問題を顕在化させたきっかけにすぎないといえますし,上の記事中にあるように,救急外来に関しては労働基準法を無視した勤務形態が本質的な問題であるという指摘は確かにその通りでしょう。その上で,自己負担により「コンビニ受診」を抑制するより,一次救急をもっと充実させて「コンビニ受診」を受け入れるようにするべきである,という主張をされています。

どうも読んでいて釈然としないのは,おそらく多田先生と当方で「コンビニ受診」の捉えかたが違うからではないかと思います。

救急外来を受診するほとんどの方は、自分が重症かどうか分からないから(重症になって手遅れになるのが怖いから)、軽症でもわざわざ医師の診察を受けるために救急外来を受診するのです。
確かに9割の軽症患者には、救急対応は必要ないかもしれません。それでも、「仕事が休めずになかなか来られなかった」ために重症化してしまった患者は確かにいます。

軽症かどうか判断できずに迷って受診された患者さんについては,これは専門家でない以上無理もないところで,結果的には軽症だからといって「コンビニ受診」とまとめてしまうのは少々気の毒な気がします。「仕事が休めずになかなかこられなかった」というのもまあいろいろですが,なかには会社の労働管理の問題という側面もあるでしょう。当方としては,そうした事情がなく,診療時間内に来院できるにもかかわらず確信的に救急外来を利用するような行動を典型的な「コンビニ受診」と呼ぶのだと思っていました。端的に言うと,自分が「コンビニ受診」ではないかと迷っているようなひとは「コンビニ受診」ではないということです。

実際のところ,こういう狭義の「コンビニ受診」こそがその言動で医療従事者を疲弊に追いやっていると個人的には感じているのですが,そうした受診行動は一次救急を充実させてまで受け入れるべきものではありませんし,かといって受診動機によって事前に振り分けるのは無理でしょう。絶対にトラブルになります。振り分けるとすれば軽症かどうかを基準にするくらいしかないですが,前述のように狭義の「コンビニ受診」と呼ぶほどでない患者さんも含まれてしまうし,結局医療側の負担もたいして減らないことになってしまいます。狭義の「コンビニ受診」を抑制できるのはやはり適度な自己負担による経済的なインセンティブくらいではないかと思うのですがどうでしょうか。

コンビニ受診」イコール「軽症患者」という認識であれば,多田先生の主張もおおむね納得できます。もっとも厚労省中医協資料で示した要件がまさにそうなので,それに沿った批判をされているだけともいえます。今後は「コンビニ受診」について議論するときには,何をもってそう呼ぶのか確認するようにしようと思った次第です。