ADRの会議が開催されたようですが


第一回ADR機関連絡調整会議開催 - ロハス・メディカル

医療に関して裁判外の紛争解決(ADR)機関を運営している関係者を一堂に集めた厚生労働省主催の連絡調整会議が26日開催された。動きの止まっている医療事故調構想との関係にも注目が集まるが、事務局の趣旨説明は「通常の検討会とは異なり、ここで何かを決めるということより、参加者で認識を共有して自発的に何か始めていただけるならありがたい」と控えめだった。

何か決めるのが目的ではなく,フリーディスカッションを行って自発的な行動を促すということなので,この会議そのものがメディエーションみたいな趣です。ただあいにく,出席者が極端に偏っているので当事者間の対話,とまではいかないかもしれません。穿った見方をすると,結論は出さなくても会議を開催したというアリバイさえ成立すれば厚労省とすればそれでいいんだろうなあ,なんて思ってしまいます。こちらとしては,議論している方々の見識がどんなものか,観察するくらいしかなさそうです。その意味では,会議を要約してしまうと味わいが大幅に損なわれてしまいますから,やはりこちらの議事録に期待したいところです。

今回は東京,愛知,千葉で既に実施されているADRの運用についての報告が中心でした。おおむね6〜8割は和解に至っていると成果を強調されていましたが,基本的に患者側,医療側は当事者ではなく代理人が出席する形のようです。対話と言うよりはミニ裁判という感じで,事実に争いがあまりなく,損害賠償額を協議するような事例なら確かにそれでいいのでしょう。それで解決しなければ裁判するしかない,という認識のように見受けました。

そこに対する患者側の反論。

私の場合は、医療者から誠実な説明がなくて裁判をせざるを得なかった。誠実な説明が被害者にとってとても大切だけれど、それがない場合にその気持ちをどこに持っていけばよいか分からなくなる。その場としてADRがあるという説明だったと思う。しかし、ADRに行っても医療者本人から説明がなければ同じこと。医療者と当事者が向かい合って誠実に話をすることが必要。不可抗力もあるだろう、それは誠実に説明してもらうことで、ああそうなのかと思えるし、ミスがあったならそれを誠実に謝罪してもらえれば納得できる。ADRで迅速に和解に至るというけれど、医療者が出てこないなかで本当に納得できているのか。

そうしたADRの運用が求めるものなのか,という根源的な疑問です。ADRといっても裁判準拠型と対話型があるわけで,読んでいるとどうも出席者によって違うものを想定しているような印象。そのあたりの前提をまず議論したほうがいいようにも思うのですが,そこはあえて議論しないようにするのか,むしろ議論しないですませたいのか,そのあたりも今後の会議で明らかになってくるのかもしれません。