意義ある議論のための手法


ひとはそれぞれ立つ場所によって同じ対象であっても見えかたは異なるわけで,そのまま議論しようとしても話がかみ合わないというのは当然のことです。無理矢理結論を出そうとすればどちらかが勝つまで泥沼の戦いが続くことになり,お互いに不毛なことです。

議論を有意義なものにするためには,お互いの立場から生じるバイアスを極力排除するような手法によって対象を評価することがまず考えられます。例えばある治療法の効果を評価するために,治療薬かプラセボかを治療を受ける側・治療する側とも分からないようにして無作為に割り付けてその結果を比較するという手法があります。こうすることによってそれぞれのバイアスが排除された客観的な結果が得られ,議論の根拠となるわけです。

意義のある議論を行う手法としてもうひとつ考えられるのは,それぞれの立つ位置が異なることを認めて,その上で妥協点を探すという手法です。議論のための議論ということでなければ,白黒をつけるよりもそのほうがお互いにとって有意義であることは多いと思われます。もちろんそのためには,議論の参加者が自らの立場に固執せず,別の角度から考えることが必要でしょう。

あらゆる事象に客観的根拠を示すことは現実にできない以上,根拠がないからといって切り捨てるわけにはいきません。かといってまったく根拠のない議論は現実から乖離するばかりです。できるだけ客観的な根拠に基づくことと,互いに立場の違いを認めて妥協することは相反することではなく,議論の勝敗より互いにとって意義のある結果を目的とする点ではむしろ相補的な手法といえるでしょう。

そういう意味では「いろいろな考え方が認められるべきであり,客観的根拠に基づく必要はない」という主張は前半はいいとしても後半は不適切と考えられます。客観的根拠に基づいたうえで多様な価値観を認めることは充分できるはずだし,そもそも客観的根拠に基づく考えを否定していること自体が「いろいろな考え方」を否定して特定の立場に固執していることを示しているわけですから。