終の信託

終の信託 (光文社文庫)

終の信託 (光文社文庫)

延命治療の中止をテーマとして取りあげた小説で,映画化もされるとのことで読んでみました。具体的に明示はされていませんし,登場人物の描写はフィクションとして脚色されていますが,ベースとなっているのが「川崎協同病院事件」であることはすぐに分かります。

決してスッキリできる結末ではありません。読み終えたあと,患者さん本人の意志を尊重して延命治療を中断した「尊厳死」,という主治医から見た「事実」と,治療を継続していれば免れた死を招いた「殺人」という検事から見た「事実」のあいだにある断絶が重苦しく心に残ります。

主人公である医師は決して理想像ではなくむしろ,献身的な姿勢は伝わるものの職場での人望はいまひとつで味方もそう多くない人物として描かれます。職場からの告発で殺人罪で逮捕という事態に至ったことは,そうした背景とは無関係ではないのでしょう。読んでいる側としては,もう少しうまく立ち回っていれば…と思ってしまいます。医師としての立場を踏み越える危うさも気になるところです。

もう少し考えてみると,もともと延命治療の中止そのものに形式的には「殺人」と見なされうる要素があるわけです。家族あるいは関係者のあいだからそのような告発をされることが実際にはほとんどないにしても,告発があって形式的な要件さえ満たせば「殺人」として立件することは,本作に登場する検事のように野心的ではなくてもそれなりに可能性はあるように思えます(このあたりは専門家に見解を伺いたいところですが)。

現実問題として,もし行えば少しでも延命できるかもしれない治療だとしても,それをすべて行うことは限られた医療のリソースを考えれば不可能です。そして患者さん側にも,延命できても患者さんなりの満足度が下がるのであれば行って欲しくないという要望は確かにあります。もちろん控えるべきでない治療を控える一線を踏み外さないように気をつけていますが,気をつけていたとしても踏み外したと見なされる可能性は常につきまとうわけです。

現実世界と法律の板挟みになる立場としては延命治療を中止が免責されるための条件を法律で明示してほしいというのが正直なところですが,現在議論されている尊厳死法案に関しては以前にも述べたとおり詰めが不十分と思いますし,政治的状況から見ても成立する見込みは低そうです。いずれにしても,当分のあいだは今までと同様,自分の行為が「殺人」とならないように,最大限に気を遣いながら診療を続けていかないといけないのでしょう。