新年とコロナ

あけましておめでとうございます。

新しい年を迎えましたが、年の瀬になって新型コロナの流行が拡大傾向に転じていたところで、これから年明けの動向が気になるところです。思えば昨年は第4波・第5波がこの片田舎にも到達し、並行してワクチン接種の個別接種・集団接種に追われるという、結局新型コロナに振り回される一年になってしまった感があります。

せっかくみんなで頑張ってワクチン接種を進めた(当地域の2回接種率も80%を越えました)ので、今年来るべき第6波ではその効果に少しでも期待したいところですが、そのあたりは変異株と追加接種、あとは年末年始の人流次第ですね。いずれにしても当面警戒体制は解除できないようです。

というわけで、今年も意欲と余裕があれば随時更新したいと思います。引き続きご愛顧の程をよろしくお願いします。

 

これだけでは何ですから、今週のお題である「買ってよかった2021」をいくつか挙げておきます。参考になれば幸いです。

社会保障の問題は経済や社会とも関わってくることを分かりやすく解説されています。民主主義を維持するためには中間層を支えて分断を防ぐ必要があるし、国民が作り出した付加価値を分配する手段としての社会保障が重要…と理解しました。

以前からジェットストリームのボールペンはインク自体は唯一無二なのに対して、軸の出来が使い勝手にしても耐久性にしてもいまひとつという印象が強く(個人の感想です)、他社の軸に替芯を移植して使っていたのですが、この製品に関しては適度な形状と重さで書きやすいし、造りもしっかりして高級感がありかなりよい出来です。0.28mmの極細芯で展開されている製品ですが、当方は0.5mm芯に交換して仕事用メイン筆記用具として使っています。

コロナ禍で自分史上最大の体重増加を来したため、興味半分もあって購入してみました。これまでスポーツというか運動そのものの経験が皆無なうえ、飽きっぽいこともあって期待はしていなかったのですが、予想外に続けることができました。RPG風のアドペンチャーモードはせいぜい1週間もあればクリアするのかと思いきや3か月たっても終わる気配がなく、4か月過ぎてようやく最終ステージに入ったところです。まさかの年越え。飽きないのは至る所にしかけられた興味を途切れないようなギミックが寄与するところが大きくて、このあたりはゲームメーカーの本領発揮でしょう。ゲームそのものを楽しむだけでもいいのですが、個人の感想としては、体重が減って(コロナ禍以前より減った)楽になっただけでなく、適度な運動によるメンタル面の改善が予想外によかったですね。

第4波とワクチン

大都市圏では春休み明けから予想通り(?)急激な新型コロナの感染者増になっています。片田舎の当地ではまだそこまでいきませんが、第3波と同様、しばらくして余波が来るのは想定され、また緊張の続く毎日になりそうです。

ワクチン接種のスケジュールもようやく具体的になり、外来での話題ももっぱらその話になります。全く新しいワクチンが心配なのは分かりますが、ウイルスそのものに対する心配(そもそも感染した時のリスクが高い方が多い)が薄れているのかなとも思います。まさしく「正当にこわがることはなかなかむつかしい」わけですね。

と思っていたら今日になってワクチン担当大臣がワクチンが無駄にならないように柔軟な対応を、と仰っていたようです。ワクチンの数が限られているから必要な人から優先的に接種する、という主旨で作られたシステムがどのくらい「柔軟」に運用できるのか分かりませんが、おそらくは人力による例外的運用が現場に委ねられるわけで、まあ大臣の言葉なのでどうにかするのでしょうけど、これからまたスケジュールが変わってくるのは困るなあと正直思うのでした。

自己決定とパターナリズム

医療の場で検査や治療の方針を決める際に患者さんの希望と医学的知見をどのようにすり合わせていくのかという課題が以前からあって、自由放任でも強権的でもない第三のアプローチとして「ナッジ」に興味を持ったのが10年くらい前で、ちょうど「実践行動経済学」が出た頃でした。

 自由主義を基本としながら、適切な選択アーキテクチャを提供することで本人にとって有益な選択を促すという考え方は確かにスマートで魅力的です。メディアで紹介されて流行になり、実際にもいろいろな国や地域の行政でナッジを取り入れているようですし、医療分野での応用に関する書籍も出ています。

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

 

個人的には、手法がスマートだからといって目的が正当化されるわけではないのでは…というモヤモヤがあって全面的には乗れず、たまたま目にしたシノドスの記事で紹介されていた「ナッジ!?」を読んでみました。

 行動経済学そのものの紹介というよりは、法哲学全体の中でのサンスティーンの提唱するリバタリアンパターナリズムの位置づけを解説していて、当方もキチンと理解できたか自信は正直ないのですが、少しは見方が広がったように思います。

個人の自由な選択を重視する立場と個人に委ねると本人のためにならないと考える立場の両者をいいとこ取りした結果、前者からは「無意識のうちに選択肢を設定されているのは自律を侵害されているのでは」後者からは「効果が弱すぎて目的を達成できないのでは」と、結局両者から批判されるのは仕方ないのかもしれません。おそらくはすべてではなくナッジの特性を活かせる事例を選んで活用されていくのでしょうけど、それでも誰がどう設定するのかという恣意性の問題は残るわけで、結局のところ、当方のモヤモヤはあまり解決されないままなのでした。