福島県立大野病院事件公判


先週は思い切りフライングしてしまいましたが,本日論告求刑です。医療の不確実性の結果として起こった不幸な事故が「過失」であるという司法判断が下されることがないことを切に望みます。


以下は司法には素人である一医療者としての私見です。

医療側と司法側*1の,特に医療事故に関する議論をこれまで見てきて強く感じるのは,両者の深い相互不信です。かなり強引にまとめると,医療側は「結果論から過失の有無を判断するようなジャッジは不適切であり,介入すべきでない」と主張し,司法側は「そんなこといっても医療側の自己規律が不充分だから司法が介入せざるを得ない」と反論する図式に見えます。

医療側の自己規律に関しては原因究明と再発予防に取り組むために第三者機関の設立が検討されている筈なのですが,厚生労働省で行われている検討会の傍聴記を拝見すると,どうも本来の目標から外れて迷走しているように思えます。これはこれで重要な問題です。

司法の介入は現在でも謙抑的であるという主張もあるようですが,それでは,大野病院「事件」における医師の医療行為が「過失」であり起訴に相当する,という検察の判断はどうなのか伺いたいものです。謙抑的とは言われても,現に大野病院「事件」の公判が目の前で進行している訳ですから,説得力に欠けます。

これは楽天的な考えかも知れませんが,司法側の然るべき立場の方が「福島地検が起訴したことは間違いで例外的なケース」と明言して頂ければ*2,医療側の司法に対する不信もある程度は緩和されるのではないかと,個人的には思います*3。司法側の言う「謙抑的」が結果論から後付けで「過失」であると判断しないこと,というのであれば議論の噛み合う余地はあります。


もっとも最近では司法そのものが「市民感覚」と乖離しているとの批判のもと,司法判断に非専門家の意見を取り入れるという流れのようですから,司法側に医療の不確実性に対する理解があったとしてもあまり司法判断に反映されなくなる可能性もあります。「市民感覚」で医師個人を罰することは,患者側(本人・家族)にとっても医療側にとっても(もちろん最終的には国民全体にとっても)不幸にしかならない事態だと思うのですが…。

追記(2008-03-21 23:45)

各紙記事が出ましたが,求刑は禁固1年,罰金10万円とのことです。検察の主張はこれまでと同様。やはり行くところまで行くつもりのようです。嘆息。それにしても

被告の態度は患者と医師の信頼を崩し日本の医療の発展を阻害するもの。

福島の帝王切開死亡事故 産科医に禁固1年求刑:Yahoo!ニュース

福島地検がそれを言うか? …と思ってしまいました。


 

*1:いろいろな立場の方がいらっしゃるので「医療」「司法」とひとまとめにしてしまうのは乱暴なんですが,適切な言い方が思いつきません。御容赦ください。

*2:立場上公判中にコメントできないのであれば判決後でも,それも無理なら一般論としてでも。

*3:上記の検討会で樋口範雄氏がこれに近い発言をしています。「警察、検察の意識としては、すでにこれまでも運用上は重大な過失のみを罪に問うてきた。十分に謙抑的だった。医療以外の分野でこんなに謙抑的に運用しているところがあるかと言えば決してそんなことはない。それが一つ二つ謙抑的とは言えない事例が出て大騒ぎになってしまった。しかし警察だって間違える。そういう一つの事例で全体がトンデモないと考えるのも間違っている」。