腹水穿刺を行う意味


個別の事例については得られた情報が偏っている可能性が高いため,憶測で議論するのは避けておきます。肝硬変の患者さんに対する腹水穿刺についてはすでに多くのブログで解説されているので今更なのですが,あくまで当方なりのまとめです。とはいっても当方自身開業して2年近く穿刺からは離れているので,間違いがあったり認識が古い点があればご指摘ください。


一般に肝硬変の患者さんで腹水がたまるというのは病状がかなり進行していることを意味します。はっきり言えば肝不全による死に近い状態ということです。腹水(に限らず肝硬変が進行して現れるさまざまな症状)は元を辿れば肝臓そのものが硬く縮んでしまい機能が落ちていることに由来しますから,肝移植によって肝臓を取り替えることを除いて,行われる治療は基本的に対症療法といえますし,肝臓の機能が落ちている以上その効果は一時的に過ぎません。むしろ治療により肝臓に負担をかけて病状が進行することさえもあります。


肝硬変の患者さんに腹水がみられたとき,通常はまず内服薬による治療を行います。利尿薬と呼ばれる排尿を促す薬によって体内の余分な水分を尿として排出させ,腹水が減ることを期待するのですが,これによって効果がない場合,腹水穿刺を行い,腹水を体外に除去するかどうか検討することになります*1


腹水で患者さんが一番困るのは,何よりおなかが張って苦しいことです。大量に腹水がたまるとまさしく風船のようになります。おなかそのものだけでなく,肺を下方から圧迫するので呼吸も大変になり,仰向けになるだけで息苦しい状態になります。夜も熟睡できません。また圧迫感に加えて腹水の分だけ体重が増えるので,自力で移動するのもつらくなります。腹水が減ることによってこうした症状が全くとはいいませんが,少なくとも2〜3日のあいだは,何割か軽減します。したがって腹水穿刺に関しては,患者さん側の強い希望で行われる場合が往々にしてあります。また傍で見ている家族の方が,あまりにもつらそうだから何とかして欲しい,と訴えることも当然ながらあります。


その一方で腹水穿刺にはリスクも存在します。穿刺の手技そのものはおなかの壁(腹壁)を皮膚から腹腔内まで針で貫くもので,特に高度な技術が必要というわけではありませんが,出血,感染の可能性は少ないもののゼロではありません。出血については,肝硬変の患者さんは止血機能が相当低下している場合が多いこと,腹壁や腸管の血管が肝硬変のため太くなっていることがあり,肝臓が正常な方よりはリスクは高いと思われます。少しでもリスクを下げるために,穿刺の際はおなかの中でもなるべく太い血管がないと思われる場所を選びます。また腹腔内の臓器を傷つけないよう,事前に超音波で確認して,腹水がたまって内臓が壁から離れているような場所を選びますが,リスクがゼロになるわけではありません。


穿刺の手技そのもの以外にもリスクはあります。急速に腹水を除去すると体内の水分バランスが崩れてしまい,心臓や腎臓に負担をかけたり,肝臓の血流が低下することで結局肝硬変そのものの症状が悪化することがあり,もともと悪い状態に追い打ちをかけて命を縮めてしまう可能性は大いにあります。当方が腹水穿刺のときに気をつけていたのはむしろこちらのリスクでした。


個人的には遭遇したことがないのですが,肝硬変のため太くなった腸管の血管が破裂して大出血したという報告*2もあるようです。穿刺で傷つけたわけではなく,腹水を除去して急激に圧が下がったのが原因とも考えられますが,これを予防するのはまず不可能でしょう。また起きてしまったとすれば穿刺後しばらくしての急激なショック症状という経過でしょうから,確実に出血源を見つけて処置するのはきわめて困難だと思われます。救命も難しいでしょう。


これほどのリスクがありなおかつ対症療法に過ぎない腹水穿刺を行う上で,ほとんど唯一にして最大のメリットは患者さんの苦痛を(一時的に)取り除くことといえます。極言すれば「腹水による症状の緩和」と「病状が悪化して命を縮める可能性」を天秤にかけて決めなければならないわけで,こうなると医学的な適否だけでなく,ある意味医療倫理的な問題ともいえます。


必要なのは,患者さん側が肝硬変という病気をきちんと受け入れたうえでこうした難しい判断を冷静に行えるように,医療者が手助けすることなんでしょう。その上で腹水穿刺を行うことには意味があると考えます。ただ現実には,今ここにある苦痛を取り除いて欲しいと強く希望される患者さんにとって冷静に考えることは容易ではなく,医療者側が綱渡りのような判断を求められることも現場では多々あることです。不幸な結果に終わったとしても,必ずしも単純に手技上の「ミス」とは限らず,十分な説明と納得も簡単なことではないということを理解して頂けたら幸いです。



 

*1:腹水穿刺のほかに腹膜頚静脈シャント(P-V shunt)や経頚静脈肝内門脈大循環シャント(TIPS)といった方法もあるが,腹腔穿刺よりさらにハイリスク・ハイリターンであり,対象は限られる。

*2:Acute hemoperitoneum after large-volume paracentesis.Gastroenterology. 1997 Sep;113(3):978-82.