診療報酬点数の起源


vol 103 診療報酬体系成立の歴史を検証する - MRIC by 医療ガバナンス学会

現在の保険診療における診療報酬にはいろいろと不可解な点がありますが,そのうちのいくつかについて,今回カラクリを知ることができました。以前から思っているのが,なぜ1点=10円なんだろうという点。はじめから額面で請求すればよさそうなものですが,実は当初固定性ではなく,政府から支給された医療費を医師会が点数表にしたがって分配するときに,支給総額を調整するための仕組みだったようです。

この政府と日本医師会とのあいだで交わされた契約は1年ごとに組みなおす自由契約であったが、戦況も進んだ昭和16年のこと、ときの東条内閣は戦時の統制経済政策の一環として、この医師会との自由契約を一方的に廃止してしまった。健康保険の診療報酬は厚生大臣の告示によって定めるものとし、日本医師会が自主的に決めていた健康保険点数表を政府が定めるという形にすることによって国家統制することにしたのである(昭和18年1月から実施)。戦後になってGHQ医療制度改革を指示はしたものの、保険制度改革には手を付けなかった。そしてこの戦時中にできた診療報酬支給の骨組みが、改正されることなく連綿として現在まで続いているのが現状なのだ。

つまり,診療報酬の運用は今現在も戦時体制というわけで,そう考えると,何だか分からないけど妙に強権的なのも納得できなくもありません。病院と診療所で異なる点数体系が用いられるようになった経緯も興味深いです。

武見も物価の上昇に合わせた点数の値上げ案を中医協に提出したが、これをきっかけに厚生省は保険局長が中心になって作った新しい点数表案を作成した。現行の点数表(乙表)は廃止して、1点単価は10円と固定したまま、入院料や診察料のほうの点数を引き上げることによって医療費を調整する方式(「新医療費体制」と呼ばれた点数表つまり甲表)を提案したのである。この新たな厚生省の発案に対して猛反対した武見の主論点は、インフレ対策のない1点単価の固定への反対だった。ところで新医療費体制の点数再配分によって診療報酬が大幅に増額となった病院が厚生省案賛成に回ったため、以後甲乙2表が並存することになる。病院は甲表を採用し、開業医は乙表を採用して、これを境に病院と開業医が乖離していくことになり、病院は日本医師会からも切り離されていくことになる。

現在の病院・診療所の分断政策はこの時点から始まっているともいえそうです。病院を開設して患者さんを集めるインセンティブを設定し,じっさいその通りになったわけです。現在の患者さんの病院志向というのもこのあたりに起源があるのでしょう。

全体を通して医師会側の見解が中心であり,違う方向からの分析も必要かと思いますが,歴史的経緯を踏まえると在抱えている問題への見方が少し変わってくるのも確かです。専門家の団体が官僚と駆け引きして自らの裁量を守るためには,相当な政治的力量と信念が要求されるということなんでしょう。