失って分かったこと


大病を患ったときに,これまで長い間関心を持たなかった健康であることの大切さに気づくいい機会だ,なんて言われることがあります。もちろん健康の大切さを理解するために病気になるわけではなく,失ってしまったものを受け入れるためのひとつの考え方だし,何よりもこの言葉は大病を乗り越えて初めて口にできるわけです。それでも,病気のように少なからず不確定要素が含まれる(純粋に本人の責任による病気というのはそう多くないと思われます)ような事態,例えば事故や災害に関しては,失ってしまったことに対して当事者がそうした前向きなとらえ方をするのも意味があるでしょう。でも,さんざん危険性が指摘されていたのに放置した,といった明らかな不作為によって不幸な事態が生じたときにその不作為を指摘せずに「これまで知られていなかった問題が明らかになったことに意味がある」といった言説を目にすると,それはちょっと違うんじゃないかという気がします。避けられない事態と妥協することと,避け得た事態から目を背けることは別のはずで,それをあえて混同する意図はどのあたりにあるのか気になります。