胃瘻造設と意思決定


昨夜のETV特集で胃瘻による経腸栄養の問題が取り上げられていました。

食べなくても生きられる 〜胃ろうの功と罪〜


男女を合わせた平均寿命が80歳を越え、日本は世界最高の長寿国になった。その理由の1つが、欧米とは異なり積極的な延命治療が行われていることにある。中でも、胃に直接栄養を送る経管栄養(胃ろう)は急激に普及し、現在およそ40万人に施されている。もともと胃ろうは、摂食障害のある子どもたちのために開発された技術だが、患者への負担が少なく生存率が画期的に延びるため、高齢者にも応用されるようになった。現在の日本では、嚥下の能力が衰え、ものを食べられなくなると、ほぼ自動的に胃ろうが施されるまでになっている。
しかしいま、この現状を変えようという動きが医療現場で起きている。「ただ生かすことが、本当に患者のための医療か」「自然な死を迎えられない現状が良いのか」という声が上がっているのだ。その動きの中心にいるのが、胃ろうの技術を日本に広めた第一人者の外科医だ。「私には延命至上の現状を招いた責任がある。だからこそ、勇気をもって訴えていかなければならない」という。私たちは、胃ろうをどう考えるべきか。そして、どう生き、どう死ぬべきか。その答えを模索する一人の医師に密着する。

番組の主旨としては上記のイントロダクションからも推察されるように,認知症や脳血管障害によって摂食不能となった方に経管栄養をおこなうことへの疑問です。たしかに経口摂取の機能が問題というよりは身体機能全般が悪化した結果として食事がとれなくなったのであれば胃瘻を造設して経管栄養をおこなうことが問題解決に寄与しているとは思えませんが,裏を返せば,胃瘻を作った結果栄養状態が改善し,身体機能が向上したり認知機能が保たれるのであれば医学的には意味があるとは言えます。

ただしここでいう「自然な死」というのはまた別の価値判断に基づくもので,医学的な利益・不利益というあたりから答えは出ないのかも知れません。だとすれば胃瘻造設するかどうかの方針決定に際しては医師側が主導するべきではなく,あくまで必要な情報を提供するにとどめて,本人・家族に意志決定を委ねるというのが教科書的な回答ではあります。

理想としてはそれで本人・家族が適切な選択ができればいいのですが,実際は専門家ですら正解を持ち合わせていないわけですから難しいでしょう。せめてこちらができるとすれば,それが適切な選択だったと受け入れることができるようにサポートすることくらいではないかという気がします。