いま自分がなすべきことを考える


3月11日の地震およびそれ以降のさまざまな災害に関して,自分が何を語るべきなのかいまだ分からない所もありますが,やはり個人として考えるところを書き残しておきます。このエントリに関しては,誰かにこうしろという意図はありません。あくまで自分自身の認識を確認するために書いたものです。不愉快に思われる方がいましたら当方の未熟さ故かと思います。


当地では震度5程度の揺れがありましたが,幸いにも大きな被害はありませんでした。在宅診療先の患者さん,特に在宅酸素療法をおこなっている方については,これも幸いなことに問題は生じませんでした。地震発生以降も通常通り診療を続けています。受診する患者さんのなかには,被災地にいる身内や知人と連絡がとれず心配されている方は少なくありません。


現時点でも救援を待っている方が多数いる状況の中で,自分に何が出来るのか考えてみても,直接できることはそう多くはありません。さしあたって出来るのは,普段通り淡々と診療を続けることくらいです。そうすることで,被災地への応援で手薄になった近隣の基幹病院への負担が軽減できれば,貴重な医療資源を必要な方々に回す一助となることができるかもしれません。先ほど挙げたような,震災から間接的な影響を受けた患者さんへの配慮をおこなうことも,貢献というには微力ですが,出来ることのひとつでしょう。


このようなブログを閲覧して頂いたり,Twitterでも自分のアカウントをフォローして頂いている(正直当方には分不相応な人数だと思っています)立場から,情報発信というものについても考えざるを得ません。


医療に関してはともかく,災害対策に関しては素人以下の見識しか持ち合わせていない以上,当方が思いつくことなどは,本来それにふさわしい方がとうの昔に判ったうえで検討を重ねている可能性が高いわけです。であれば,当方が思いついた推測や提言をブログやTwitterに乗せて拡散させることは,要らない不安や誤った判断を生むだけで何の益もありません。


なにより,自分がコントロールできない出来事についていくら考えを巡らせても意味はありません。たとえば原子力発電所で起きている事故について,いくら推論や不安を述べ立てても,まして誰かを責めたところで事態が好転するわけではありません。当面必要なのは,自分がコントロールできる事柄について,決定の根拠となる情報です。そういう観点からいえば,現在氾濫している膨大な情報のうち,自分にとって必要なものは一部に限られるように思います。もちろんコントロール不可能な出来事に対して不安や怒りを抱くのは,ひととして当然のことかもしれませんが,その不安を他人に押しつけることは厳に慎まなければいけないと自分自身に言い聞かせているところです。