家族の道義的責任と社会サービス


経済的余裕があるのに親族が生活保護を受給されていた,と糾弾されるタレントがこの週末話題になっていました。報道を見る限り,当該するケースがそもそも何かのルールに違反しているかは明らかではなく,どうも扶養する能力があるのにそれを果たさなかった「道義的」責任が問題になっているようです。つまり「子が親の面倒を見るのは当然」ということですね。

当方が多少なりとも関わっている介護制度に関しては,もともと家族介護の限界を公的サービスでカバーするために作られた筈ですが,政治的事情により財政が限られた状況で「家族による自宅介護」それがダメなら「居住系サービス」へという流れになっています。自宅での介護は誰かが介護に専念することが必要であり場合によっては収入減となることを意味しますから,ある程度の余力がある家庭であることが前提となります。居住系サービスにしても,今後推進されるのは介護財政を圧迫しない有料老人ホームとかケア付き住宅でしょうし,そうした施設は年金だけでは賄えないことが多いようですから,本人あるいは親族の経済状況に左右されることになるのでしょう。そうした方針にあたって「家族が面倒を見る」という「道義」が引き合いに出されるのはある意味自然な流れではあります。

確かに「子が親の面倒を見るのは当然」というのは道徳的には分かりやすい話ではあるし,実際頑張って面倒を見ている方も大勢いるのですが,それがかつて社会規範とみなされていた時代から家族構成にしても雇用にしても社会背景にしても大きく変わっているわけですから,「当然」と言い切るのはかなり危うさを感じます。社会に必要なサービスの基準に「道義」というモノを持ち出してくると,それをどこまで適用するのかが恣意的になってしまいますし,今回既に見受けられるように,現実に即した議論が省略されてしまうのが何より問題なのではないかと思います。