自己決定とパターナリズム

医療の場で検査や治療の方針を決める際に患者さんの希望と医学的知見をどのようにすり合わせていくのかという課題が以前からあって、自由放任でも強権的でもない第三のアプローチとして「ナッジ」に興味を持ったのが10年くらい前で、ちょうど「実践行動経済学」が出た頃でした。

 自由主義を基本としながら、適切な選択アーキテクチャを提供することで本人にとって有益な選択を促すという考え方は確かにスマートで魅力的です。メディアで紹介されて流行になり、実際にもいろいろな国や地域の行政でナッジを取り入れているようですし、医療分野での応用に関する書籍も出ています。

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

 

個人的には、手法がスマートだからといって目的が正当化されるわけではないのでは…というモヤモヤがあって全面的には乗れず、たまたま目にしたシノドスの記事で紹介されていた「ナッジ!?」を読んでみました。

 行動経済学そのものの紹介というよりは、法哲学全体の中でのサンスティーンの提唱するリバタリアンパターナリズムの位置づけを解説していて、当方もキチンと理解できたか自信は正直ないのですが、少しは見方が広がったように思います。

個人の自由な選択を重視する立場と個人に委ねると本人のためにならないと考える立場の両者をいいとこ取りした結果、前者からは「無意識のうちに選択肢を設定されているのは自律を侵害されているのでは」後者からは「効果が弱すぎて目的を達成できないのでは」と、結局両者から批判されるのは仕方ないのかもしれません。おそらくはすべてではなくナッジの特性を活かせる事例を選んで活用されていくのでしょうけど、それでも誰がどう設定するのかという恣意性の問題は残るわけで、結局のところ、当方のモヤモヤはあまり解決されないままなのでした。