社会生活と科学


高校理科に新科目、苦手生徒向けに「科学と人間生活」(cache) - 読売新聞 2007年9月12日

およそ論理的思考が苦手*1な当方が言うのもおこがましいのですが,数学とか理科といった教科を学ぶ意義は,社会に出てからその知識が役に立つからというよりはむしろ,勉強する過程で科学的・論理的なものの考え方を養うことにあるのではないかと思います。現時点で科学的に解明されていないことはいくらでもありますし,人間や社会には論理だけで割り切れない問題があることも確かですが,だからといって科学は信用できないとか,論理的思考は必要ではないというのは,それこそ非論理的です。

インチキ健康食品や「あるある大辞典」みたいなテレビ番組にあれだけ大勢の人間が簡単に騙される*2のを見ていると,伝えるメディアの責任は勿論のことですが,視聴者側にも最低限の素養が必要なんじゃないかと思ってしまいます。限られた学校の授業でそれをすべて身につけることは困難ですしその必要もないのですが,少なくとも正しい方向付けをするだけでかなり違うような気がします。

個人的な経験をいえば,「科学も宗教と同じじゃないか」と発言した当時高校生の自分に対して「科学というのは事実を解明する手段であって,価値判断するものではない」という先生が仰った言葉を聞いて,大げさに言えば人生観が変わるくらいの衝撃を受けました*3。それだけに,よりによって学校で教師みずから「水からの伝言」を教材にして道徳の授業をしていると聞いたときは,違った意味で激しい衝撃を受けたのですが...。

*1:これまでの記事を読めばおわかりのことと思います。

*2:問題となった納豆ダイエットは,実験結果や論文の捏造の事実を知らなかったとしても,番組の内容だけでも論理が破綻しており全く信用に値しない内容でした。

*3:今考えるとそこまで大層なものではないのですが。