権威に対する態度について


世の中に起きていることや社会のしくみについて個人がそれぞれ独力で知識を得て理解したうえで判断するなんていうことはあまりにも非効率的だし,それ以前に物理的時間的制約から不可能です。したがって,それぞれの分野にいる専門家がこれまでの知見を集約して議論し,ほかのひとに判断材料として提供したり,場合によってはある程度の判断をおこなったりするわけで,そうした専門家個人あるいは集団は当該分野の「権威」として社会から認知されることになります。

そうした「権威」をあまりに無批判に受け入れてしまい自ら判断することをしない態度は好ましいものではありませんが,「権威」に対して過剰に否定的なのもバランスに欠けます。まして「権威」とされるからこそ正しくない,なんていう極論になってしまうと,それは「権威」ゆえに無批判でいるのとたいして変わらないレベルです。ほどほどな懐疑を持ちながらおおむね妥当なものとして受け入れるというあたりが妥当かと思います。

「権威」的存在にも当然のことながら誤りがあります。誤りが指摘されたときに「権威」がとるべき態度はそれを認めたうえで修正することであり,そのことで「権威」そのものの価値が減じるものではないでしょう。


MMRワクチン:自閉症との関連なし 英誌が論文取り下げ

英医学誌ランセットは2日、はしかなどを予防する「MMRワクチン」と自閉症との関連を示唆した98年掲載の論文について「誤りだった」として取り下げた。

Lancetといえば臨床医学の世界では「権威」的存在としていいと思いますが,この記事を読んでLancetへの信頼はむしろ自分の中では高くなりました。それは,誤りを誤りであると認識して,なおかつ誤りを認めたほうが社会にとって有益であるという判断ができることは,誤りをしないこと自体よりも高く評価されるべきだと考えるからです。

いいかえるなら,批判すべきは「権威」そのものではなく誤りを隠蔽しようとする態度であって,闇雲に「権威」を否定するだけでは,社会が受けるはずの恩恵が損なわれることになるのではないでしょうか。