在宅医療のマッチング


朝日新聞のトップ記事に載っていたらしいです。ネットでは一部しか読めませんが無料登録すれば全文読めます。
朝日新聞デジタル:高齢患者紹介ビジネス横行 「先生いい話あります…」 - 社会

高齢者施設で暮らす患者をまとめて紹介してもらい、見返りに診療報酬の一部を紹介業者に支払う医師が増えている。訪問診療の報酬が外来より高いことに着目した「患者紹介ビジネス」に加担している形だ。法令の規制はなく、厚生労働省は「患者をカネで買うような行為は不適切」として規制の検討に乗り出した。

介護施設といってもいろいろで,最近政策的に増えているケア付き住宅や有料老人ホームだと施設専属の嘱託医はいないので,入居している患者さんが各自主治医を探さなくてはいけないのですが,それも大変ということで施設がまとめて外部の診療所と提携していることが多いようです。当地域のような片田舎だと顔見知りの関係者も多いのでそれなりに在宅対応している主治医の名前が挙がったりはするのですが,人口密集地域だとなかなかそうもいかないでしょうし,医療法で許された広告の範囲ではどの程度在宅医療に力を入れているか伝わりません。施設としても主治医がなかなか見つからない現状で,こうした仲介ビジネスが成立するということなのでしょう。

仲介ビジネスといってもそれなりに適切な紹介ならいいのですが,

ある医師は疑問を感じつつ、話に乗った。診療所を開いて数年。「患者を得るため業者を利用してしまった。外来だけでは経営が苦しかった」と打ち明けた。

という事例のように医師側の体制を考慮せず闇雲に営業しているところもあるようで(そしてそれを受ける医師も),結果として入居している患者さんのニーズを満たすことができればいいのでしょうけど,不慣れな在宅医療に対応できなくて結局は救急搬送ばかり,ということであれば患者さんにとって(そしてそれを受ける病院にとっても)不幸です。普通に考えて仲介ビジネスはそこまで責任を持ってくれるわけではないでしょう。

この話には,政策上在宅医療を推進するために診療報酬を高く設定しているという背景があります。在宅でキチンと診療するならそれなりのコストがかかるという意味では別に問題ではないのですが,請求する要件がキチンと診療していることを担保するものになっていないこと,さらに報酬の柱となる管理料が包括支払のために医療側にとってはキチンと診療するほど利益が少なくなる制度のため,結局は医療必要度の高い患者さんを回避するインセンティブが生じることになります。実際はそうしたインセンティブを度外視する医師によって在宅医療がなんとか回っているのですが,他方ではビジネスが入り込む余地もまたあるということになります。

人口密集地域,とくに将来高齢者の増加する都心近郊でマッチングの問題が大きくなってくることが予想されるからこそ,厚労省としては「地域包括ケアシステム」を大々的に推進して,地域の行政なり地区医師会が主導してマッチングの体制を作るという目算なんでしょうけど,その恩恵を受けられるのはおそらくまだまだ先で,それまではこうした民間サービスが活躍する余地があるわけです。最近では厚労省もこうした仲介ビジネスを問題視しているのが各種資料からも読み取れます。

ただ問題視するのはいいのですが,どのような対策を考えているのかは気になるところです。記事中の業者が口にしているように「グレーゾーン」として規制するというのはありそうですが,民間業者がマッチングが適切に行われるために有効な規制というのはちょっと考えても難しそうな感じがします。それともマッチングそのものを禁止してさらに混乱を招くというパターンでしょうか。

もうひとつの可能性としては,仲介ビジネスが入り込んでいるのは現在設定されている在宅医療の高すぎる診療報酬を狙っているからであり,そこを抑制するという発想です。厚労省は以前に同一建物(マンションなど)の訪問診療は不適切な事例があるとの理由で点数を切り下げたという前歴があるので,この線も捨てきれません。むしろ陰謀論的に考えれば,次回診療報酬の議論をしているこの時期に新聞の一面でこういう記事が出てくることに何らかの意図を感じる,ということかもしれませんが…。

個人的には,診療報酬についてはキチンと診療することに対するインセンティブが働くような制度になれば,不適切なマッチングが入り込む余地は少なくなるように思うのですが,これも具体的にどうするのかはそれほど簡単ではないでしょうね。そもそも適切なマッチングが機能しない限り根本的な解決にはなっていないわけですし。

 

医療事故調再び


先日より厚労省の検討部会で議論していた医療事故調の案が一応まとまり,法案として提出されることになりそうです。

 18日に開催された検討部会では、診療行為に関連した死亡事例はまず、医療機関が院内で原因究明し、遺族などがその調査結果に納得できない場合、院外に再調査を申請できる仕組みにすることを確認した。ただ、遺族などが医療機関に不信感を持ち、院内での調査を望まないケースでは直接、院外に調査を依頼できる仕組みも選択肢として残した。医療機関は、再発防止につなげるために、調査結果を第三者機関に届け出ることになる。

医療事故調関連法案、臨時国会に提出へ - キャリアブレイン

議論の流れとしては,第三者機関主体の厚労省大綱案に対して医療側の大反対があり,院内調査優先の民主党案が提案されたあとに民主党政権となりしばらく沙汰止みとなっていました(このあいだに議論が進まなかったのが悔やまれます)。その後民主党政権の末期になって再び厚労省内で議論が再開,今回の院内調査と第三者機関の二段構えという方針に至ります。

過去の記事を追うと,第三者機関の立ち位置については最後の最後まで揉めたようです。院内調査が優先するにせよ調査結果をすべて第三者機関に届けるという最終的な着地点は,妥協のようでいて実質的には厚労省大綱案を受け継いだ方針のように思えますが如何でしょうか。

検討部会に参加されていた中澤堅次先生は第三者機関に対して否定的な見解を表明されています。

第三者機関に寄せられる期待は、隠蔽・改竄、故意の犯罪などの摘発もありますが、最も大きな期待は、死に関連した医療行為の是非を専門家自身が判定する難しい作業を行うことです。事故の被害者は、悪い結果に医療の失敗を疑い、すべての事例に専門第三者による明確な判断を求めます。また医療側には事故に関するいわれのない訴追や、警察捜査を回避するため、同じ専門第三者にお墨付きを求めるという期待があります。
このように第三者機関設立に寄せる思いは、立場により異なり、求めるものも正反対ということになりますが、第三者に難しい専門的な結論を下してもらうところだけが一致し、大きな流れになってしまっています。しかし、死と医療との現実は変わるわけは無く、双方に不信感が大きくなればなるほど、第三者は深刻で分かりにくい判別を無理に下さなければならないジレンマを抱えることになります。

厚生労働省医療事故調査検討部会における二つの流れ - MRIC by 医療ガバナンス学会

多面的な「真実」に判断を下すことの困難さに加えて,そもそも現実に発生する事案に対して適正に審判を行うだけの人員と時間が圧倒的に不足するという実務的な問題も容易に想定されるわけで,患者側にとっても医療側にとっても期待に応えるものにはならないのでは,というのは個人的にはもっともな懸念だと思います。

そう考えると,本来の目的である再発の防止に寄与しないのでは,という大綱案で指摘された問題は本質的に変わっていません。なおかつ調査結果を責任追及に用いることが制限されないとすれば,当事者のあいだで事実を共有し現実と折り合いをつける過程が妨害され,紛争が助長される可能性は大きくなります。このままだと最良でも無用の長物,悪ければ医療現場の崩壊を後押しする法案になるような気がします。まあ法案提出までにまだ一波乱あるのかもしれませんが,それにしてもこんなにあっさり方針が決まってしまうとは,以前の厚労省大綱案に対するあの騒動は一体何だったんだろう…というのが実感です。

「医療否定」は患者にとって幸せか

「医療否定」は患者にとって幸せか(祥伝社新書)

「医療否定」は患者にとって幸せか(祥伝社新書)

以前当ブログでも紹介(■スーパードクターの弊害)した『「スーパー名医」が医療を壊す』は目の付け所が面白くて語り口も軽妙で,なおかつ医療の実情をうまく伝えている本でした。本書は同著者による「平穏死」「尊厳死」ブームへの反論ということで早速買ってみました。

神様のカルテ」などの小説・ドラマ・映画を題材にしながら,なぜエビデンスに反した「医療常識」が蔓延するのか,なぜ病院での最期は満足度が低いのか,説明と同意における食い違い,抗がん剤を使う意味といった医療者でもまだ整理がつかない話を整理がつかないなりに一般の読者に伝えようとする姿勢は『「スーパー名医」が医療を壊す』と同様です。

最終章では石飛氏の『「平穏死」のすすめ』を取りあげます。「高齢者や終末期医療の意味づけ」という壁にぶつかった医療者が「この人に治療を続けることに意味があるんだろうか」と自問する心情には共感しつつも,

老人ホームで,経管チューブの入った寝たきり高齢者を見て,
「お年寄りになんてことをするんだ!」
と思うのは,がん告知で
「お年寄りに何てことを言うんだ!」
と思うのと同じ。
「だって,もうこの人たちの人生に,大事な時間なんてないんでしょ」
と勝手に思い込んでいるだけではないだろうか?
そうだとすれば,無茶苦茶失礼な話だ。

第6章 高齢者の胃瘻は本当に意味がないのか? P206-207

と指摘します。最終的に『「平穏死」のすすめ』に対する評価は

それを老人医療の一般論として納得させるには,医学的にも,倫理的にも,人生論としても,はなはだ不十分ではないか

第6章 高齢者の胃瘻は本当に意味がないのか? P210

と結論づけています。

かなり厳しい評価ですが,当方としては一連の「尊厳死」「平穏死」「自然死」に関する書籍や記事を読んだり講演を聞いたりして感じてきた違和感というのがやはりそのあたりにあったということもあり,どちらかというと…というよりかなり著者の見解に共感を覚えます。

本人にとっても家族にとっても後悔の少ない最期を迎えるために,「尊厳死」「平穏死」「自然死」という考え方をうまく使うというならともかく,昨今のブームはむしろそれが目的化してしまっている印象があります。「尊厳死」「平穏死」「自然死」を提唱した方々がもともとそうした意図があったとは限らないのでしょうけど,やはりこのブームに対抗する言説がもう少し取りあげられてもいいように思います。