トミー・ダグラスとカナダ医療


カナダに皆保険制度を確立し,国民からもっとも尊敬される人物であると映画「SiCKO」で紹介されていたトミー・ダグラスについて興味があったので少し調べてみました。検索すると映画関連がやたらとヒットするのは,俳優のキーファー・サザーランドの母方の祖父に当たるためのようです。関係ないのですが同姓同名のジャズミュージシャンもいて(チャーリー・パーカーの師匠のようです)そちらも引っかかってきます。

The Greatest Canadian: Tommy Douglas - CBC.ca

カナダの放送局で行った「偉大なカナダ人ベスト10」という企画のサイトのようです。ダグラスは堂々の第一位です(「SiCKO」でも言及されてました。「そんなに有名なのか?セリーヌ・ディオンより?」みたいな感じで)。

少年期に骨髄炎(?)を患い,度重なる手術費用の支払いが困難となり下肢切断寸前までいったところを病院の外科医が無償で手術してくれた経験があり,その後の人生観に大きな影響を与えたようです。青年期はいろいろな職歴を経て,1935年に協同連邦党(CCF, 現在の新民主党の前身)から立候補,初当選,そのわずか9年後にはサスカチェワン州協同連邦党首になっています。"his fiery public-speaking talent"と表現されているところから相当にカリスマ的な人物でもあったようで,当時のカナダ社会で社会主義への関心の高まりを背景に,選挙に大勝して北米大陸初の左派政党出身の首相となりました。

政権を握った後は道路,下水,電力などの整備を行っています(原文には記述がありませんが1947年には全国で初めて公的保険制度が導入)。なおかつ債務を2000万ドル縮小していますから,行政手腕は優れていたと思われます。第二次世界大戦後まもなくアメリカでは反共キャンペーンの嵐が吹き荒れ,社会主義的政策を行うには相当の逆風だったと思われるのですが,このあたりの経緯はあっさりと

Over the next 18 years he weathered Communist fear campaigns and a province-wide doctor's strike.

と書かれているだけです。公的保険を導入した際に医師のストライキも発生したようです。ダグラスはこうした困難を行政手腕とカリスマ性で乗り切ったと想像しますが,その裏にはかなりの波瀾万丈がありそうです。とにかくこの後もダグラスは5回再選され,サスカチェワン州において進めた普遍主義的な公的医療制度はやがてカナダ国内に広がって,左派政党だけではなくの他の政党もこの制度を受け入れることになります。

もちろんカナダの医療制度が理想だというつもりはありませんが,アメリカが公的保険を否定した同じ時期に全く違う路線を選んだ指導者がいて,現在に至るまで国民から尊敬されているという事実は興味深く思います。歴史を後から振り返ったとき,信念と実行力を持った指導者と,それを後押しする時代背景,実績を認めて支持する市民が揃ってようやく国家の方向性が変えられるのかも知れないなあと思ったりもします。指導者はもちろん大変な苦労なんでしょうけど,後世まで国民に尊敬されるとすれば政治家にとってそれ以上の栄誉はないんじゃないでしょうか。