裁判官と市民感覚


id:Yosyanさんのエントリで個人的に興味深い一文があったのですが,長いし話の本筋から外れるように思いますのでこちらでコメントさせていただきます。あくまで司法に関しては素人の感想です。

10年ぐらい前に司法改革と言う流れが出たそうです。私はうろ覚えなのですが、「裁判官に市民感覚を」とか「裁判官に常識がない」とかの批判キャンペインが展開されたそうです。そういう流れの一つの結論が裁判員制度であると考えても良いそうです。弁護士増産も同じようなものだと話していました。

新小児科医のつぶやき:・・・とあるお話


裁判官の判決が「市民感覚」から乖離しているというメディアの論調は確かに以前からあって*1,振り返ってみれば,当方も自分の専門外分野の判決に関してはメディア経由の情報から判断して「これはおかしいだろう」と思うことは多々ありました。そして「おかしいだろう」という感想が妥当かどうかを専門家の知見に照らして検討することは,必ずしもしていないと思います。

だいたいメディアは何をもって「市民感覚」というのかがよく分かりませんが,自省を込めて言えば,判決に対する「市民感覚」の反発の中には,およそ理性的な議論に基づくことなく,メディアが世論をあおって,あおられた世論がさらにメディアをあおっての繰り返しで形成されることもあるように見受けられます。もし仮に「市民感情」を重視するのであれば,それが司法ひいては社会にとって有益かどうかは別として,裁判に市民の意見を取り入れるシステムを作るという流れになってしまうのかも知れません*2

それにしても,弁護士を急速に増員することが裁判に「市民感覚」を取り入れることになるという認識(司法全体の認識ではないにしても)はいまひとつよく分かりません。弁護士を増員することで民事に関しては裁判への敷居が低くなるんでしょうけど,裁判の件数が増えることで裁判官の負担が大きくなり,専門的知見を検討する余裕がなくなった結果として「市民感覚」に近い判決が出る,ということであれば困るのですが…。

当方の司法に関する知識レベルではこれが限界なので,どなたかご教授いただければ幸いです。

追記

このエントリを書いているあいだに割り箸事件判決の速報が入りました。「医師や病院に過失はなく、診療行為と死亡との間に因果関係もない」とのことですが,これに対する「市民感情」の反応がどうなのか,興味を持って見守りたいと思います。


 

*1:個人的には「薬害」HIV訴訟における安部教授の無罪判決に対するメディアの反応が最も印象的です。

*2:というか,なってしまうのですが。