医療過誤の定義とは?


もう数日前になりますが,山形大学病院で治療経過中に不幸な転機を辿った事例について報道されているようです。読んでいてどうにも違和感があったので少し調べてみたのですが,結局すっきりした答えは得られませんでした。それでも折角なのでエントリにまとめておきます。無駄に長文ですが御容赦ください。元記事は各紙ほぼ同内容のため,地元地方紙から引用します。

山形大医学部付属病院(久保田功院長)は23日、カテーテルを使った治療の後、ショック状態となって今年5月に死亡した70代男性患者の死因を調査した結果、医療過誤が認められたと発表した。男性の心臓壁にカテーテルの挿入作業でできたとみられる穴が確認されたという。同病院は遺族に経緯を説明し、謝罪した。


久保田院長が同日、山形市の山形医学交流会館で記者会見し、明らかにした。説明によると、男性は抗がん剤などを心臓に近い中心静脈に送るため、右鎖骨下からカテーテルを挿入。約20分後にショック状態となり、その約1時間後に死亡した。調査の結果、心臓の右心室の壁に小さな穴のような傷が見つかったという。カテーテルを血管内に誘導するガイドワイヤ(直径約0.9ミリ)が想定より深く挿入され、心臓壁を傷付けた可能性があるという。


死因は周辺にたまった血によって心臓が圧迫されたことによる心停止とし、出血は穴が原因と推測されるとした。


久保田院長は「同様の症例は全国的にも確認されておらず、想定困難な状況で発生した」と説明した。


再発防止に向け、同病院はカテーテル挿入の作業マニュアルを作成する方針。

山大医学部付属病院で医療過誤 70代男性死亡、カテーテル挿入で心臓に傷

山形大学に設置された調査専門委員会が同日付で公表した資料がこちらです(原本はPDF,強調は引用者による)。

当院において中心静脈カテーテルを挿入された患者さんが,ショック状態となり亡くなられました。医療事故等防止対策委員会の審議結果に基づき,調査専門委員会を設置し,死亡原因について調査を開始した経緯については,以前報告いたしました。今回は,その調査結果を報告いたします。
患者さんのご冥福をお祈り申し上げますとともに,ご家族の皆様に心からお悔やみ申し上げます。
以下の内容は患者さんのご家族の同意を得て公表するもので,個人情報保護のため個人の名前等は含まれておりません。


1 患者さんは県内在住の 70 歳代の男性です。


2 5月下旬,抗癌剤の点滴並びに栄養状態の改善のために,中心静脈カテーテルを右鎖骨下静脈から挿入いたしました。この判断は医学的に妥当です。ガイドワイヤーやカテーテル挿入に明らかな問題はなく,手技は順調に行われ,所要時間は約 25 分でした。カテーテル留置後,患者さんに症状のないことを確かめております。


カテーテル留置約 20 分後に患者さんが急変し,主治医は直ちに蘇生処置を開始しました。同時に,病棟にいた医師4名と集中治療部医師に応援を要請し,救命を図りましたが,約1時間後に死亡されました。救命蘇生処置として特に問題はありませんでした。


4 病理解剖の所見では,心嚢内に 400 ml の血液が貯留しており,これによる心タンポナーデが死因とされました。右心室(右室)の心外膜に約 15×15 mm の暗褐色部があり,同部位を顕微鏡で観察すると,右室内腔側からのごく細いものによる穿通性損傷と判断される所見があり,ここからの出血が心タンポナーデの原因と考えられました。

5 病理診断の結果,直接的な死因は,右室の穿通によって起こった心タンポナーデであるとされましたが,今回のケースにおいては,物理的に穿通部位へ到達可能なのはガイドワイヤーのみでした。ただしガイドワイヤーは柔らかくかつ先端が J 字型をしており右室壁を穿通する確率は極めて低いと考えられました。


6 ガイドワイヤー等の細いもので右室壁を穿通したとしても,通常は心停止に至るまで1日〜数日を要し,緊急手術等の対応で救命可能と思われます。今回,右室穿孔から心肺停止に至る経過が極めて速かった理由は明らかにすることができませんでした。


7 上記の点を総合的に考え合わせると,J 字型ガイドワイヤーを挿入した際に想定困難な状況が発生,右室穿孔をきたし,極めて短時間のうちにその穿孔部位より心嚢内に多量に出血,心タンポナーデをきたし心肺停止に至ったと推測されます。本事例は予見が難しく,かつその後の処置も適切であったにもかかわらず救命できなかった,非常に稀なケースであったと結論されます


8 以上の調査結果に基づき,医療事故等防止対策委員会で慎重に審議した結果,本事例については,中心静脈カテーテル挿入にあたり,臨床実務的に明らかな手技上の問題があったとは言えず,急変後の処置も適切であったが,結果として,中心静脈カテーテル挿入手技中に右室壁の穿通を引き起こし,原因不明の急速な心タンポナーデを発症させ,不幸な転帰となったことを考慮し,影響度レベル5(死亡)のアクシデント(過誤あり)と判定しました


9 患者さんのご家族には,これらの事実について説明いたしました。


10 調査専門委員会委員は,院内から病院長久保田功以下6名,外部から4名(医師3名,弁護士1名)の計 10 名です。


11 公表にあたっては,患者さんのご家族のご同意をいただいておりますが,プライバシーに配慮して行うことになりましたことを申し添えます。


既に,ご家族の皆様には謝罪と事実の説明を行っております。
このたび,患者さん及びご家族の皆様のプライバシーの保護に万全を期することを条件に公表についてお願いしたところ,ご同意をいただくことができました。
公表内容につきましては,ご家族のご了解の範囲内で作成いたしておりますので,何卒ご配慮の程,よろしくお願い申し上げます。
また,ご家族の皆様に対する取材は厳に差し控えられますようお願い申し上げます。
平成23年8月23日
山形大学医学部附属病院長
久保田 功

調査専門委員会の結果について

この報告書によれば,カテーテルを留置する際に使用したガイドワイヤーが心臓の壁に穴を開けることによって生じた心タンポナーデが死因となったという事実を認めたうえで,なおかつ「本事例は予見が難しく,かつその後の処置も適切であったにもかかわらず救命できなかった,非常に稀なケースであった」としています。

こうした報告内容に関して,個人的な臨床経験を踏まえて思うところはないわけではありませんが,この事例で問題を感じるのはもっと別の場所です。報告書にあるように,カテーテル操作によって心タンポナーデを生じることが予測困難であり,かつ適切な処置を講じても回避することができなかったのであれば,法的な意味での過失は認められないということになるはずです(認識が誤っていたらご指摘ください)。ところが,この事例に関する最終的な判定は

影響度レベル5(死亡)のアクシデント(過誤あり)

となっています。各紙報道の見出しと本文で「過誤」という単語が登場しているのはこれが理由ではないかと思われます。

医療過誤」という場合,医療者に何らかの落ち度があるという意味合いが含まれると個人的には認識していました。例えば厚労省のリスクマネージメントマニュアル作成指針によれば,「医療事故」とは

医療に関わる場所で、医療の全過程において発生するすべての人身事故で、以下の場合を含む。なお、医療従事者の過誤、過失の有無を問わない。
ア 死亡、生命の危険、病状の悪化等の身体的被害及び苦痛、不安等の精神的被害が生じた場合。
イ 患者が廊下で転倒し、負傷した事例のように、医療行為とは直接関係しない場合。
ウ 患者についてだけでなく、注射針の誤刺のように、医療従事者に被害が生じた場合。

これに対して「医療過誤」とは

医療事故の一類型であって、医療従事者が、医療の遂行において、医療的準則に違反して患者に被害を発生させた行為。

とされており,「医療事故」がかなり広い概念であるのに対して,「医療過誤」は「医療的準則に反して」とかなり限定されていることが分かります。当方の認識としてはこれが一般的な定義かと思います。この意味において,本事例は「医療過誤」と呼ぶのは適切ではないでしょう。

とすれば山形大学内部で「過誤」がどのような意味で用いられているのかを知る必要があります。山形大学のサイトを探したのですが,そうした規約がありそうなページは学内限定公開の設定なのか,開くことができませんでした。仕方なくいろいろ検索した結果,どうやら「国立大学病院医療安全管理協議会」が医療事故のガイドラインを作成していることが分かりました。山形大学も国立大学ですから,これに準じている可能性は大きいと思います。医療安全推進者ネットワークのサイトより一部引用します(強調は引用者,図表の挿入位置を変更)。

具体的なインシデントの内容については、図表1のように「レベル0」から「レベル5」までの8つに分類しました。さらにその中から、1:医療側に過失があり、2:患者に一定程度以上の傷害(図表1の「レベル3b」以上)があり、3:前記1と2に因果関係があるものを、医療事故としました


図表1

影響レベル

(報告時点)
傷害の継続性 傷害の程度 内容
レベル0 エラーや医薬品・医療用具の不具合が見られたが、患者には実施されなかった
レベル1 なし 患者への実害はなかった(何らかの影響を与えた可能性は否定できない)
レベル2 一過性 軽度 処置や治療は行わなかった(患者観察の強化、バイタルサインの軽度変化、安全確認のための検査などの必要性は生じた)
レベル3a 一過性 中等度 簡単な処置や治療を要した(消毒、湿布、皮膚の縫合、鎮痛剤の投与など)
レベル3b 一過性 高度 濃厚な処置や治療を要した(バイタルサインの高度変化、人工呼吸器の装着、手術、入院日数の延長、外来患者の入院、骨折など)
レベル4a 永続的 軽度〜中等度 永続的な障害や後遺症が残ったが、有意な機能障害や美容上の問題は伴わない
レベル4b 永続的 中等度〜高度 永続的な障害や後遺症が残り、有意な機能障害や美容上の問題を伴う
レベル5 死亡 死亡(原疾患の自然経過によるものを除く)
その他


さらに、用語の定義も行いました。医療事故と同じように使われる「アクシデント」や「医療過誤」も、医療事故と同義であると定めています。一概に医療事故と言っても、その定義は明確ではありません。各病院によって捉え方はマチマチです。そのため協議会では、インシデントと医療事故の用語を定義することが大事であると考えたのです。

ガイドラインの作成で事故防止〜国立大学附属病院の安全管理対策

こちらの基準によれば,医療側に過失があることが「医療事故」の要件となっていて,「医療過誤」と同義となっています。どうも当方の理解とはかなり異なる定義を用いているようです。

とはいえ,山形大学でも仮にこの国立大学病院医療安全管理協議会ガイドラインが採用されているとすれば,報告書のなかで医療者の過失を認めていない以上,患者さんが亡くなっているという事実があっても判定はレベル5とはなり得ず,「インシデント」ということになります。つまり今回の報告書には重大な齟齬があります。万が一何らかの理由で正当な根拠なしに過失を認めるような判定を下すようなことがあれば,きわめて重大な問題です。

山形大学厚労省リスクマネージメントマニュアル作成指針をはじめとする一般的な概念でもなく,国立大学病院医療安全管理協議会ガイドラインと違う,予測困難で回避も不能な事例で過失が認められなくても「過誤」に該当するような独自の基準を定めている可能性も否定できませんが,そんなに分かりにくいことをするのであれば,少なくとも外部に公表するときくらいは独自の基準であることを明示しておかないと,上記のような憶測を招くことになります。

話は少し違いますが,診療のなかで不可避な事故で不幸な転機を辿った場合,遺族が補償を受けるには医師賠償責任保険の対象となる必要があり,そのためには医療側の過失が認められなければならない,という問題は確かにあります。医療側が過失を認めなければ民事訴訟をおこさなければならず,患者さんにも医療側にも深い傷を残すことになります。現在,過失の有無に関わらず補償を受けることができるような無過失補償制度の仕組みが議論されているのは,まさに今回のような過失のない事例でも適切な補償が受けられるようにするためだと思います。