感染症の世界史

 これまで買ったまま積んであったのをこの機会に読んでみました。

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

 

  人類の歴史は随所でさまざまな感染症が登場することは知っていたつもりでしたが,感染症を軸として歴史の流れを眺める視点は新鮮で,読んでいるうちにだんだん目に見えない微生物が人間を操って歴史が作られてきたような気になってきます。

 この本が出版されたタイミングでは今回のCOVID-19は当然まだ出現していません。本来は宿主の動物と共存していたウイルスがやがて人間への感染力を得て経済活動とともに各地へ拡大する…という流れは目新しいものではありませんが,一筋縄ではいかないのもまた同様です。

 感染の具体的な経緯を読んでいると,あたかも人間が感染を広げる意図をもって行動しているようにしか思えない事例もあったりしますが,感染拡大を阻止しようとそうした行動を禁じてもうまくいかないのもまた歴史の教えるところで,人間はそういう一見愚かにもみえる行動をしてしまう存在であることを前提に対策を講じる必要があるのでしょうね。

日常と非日常

新型コロナウイルスに関して専門的なことを書くような力量はありませんが,このあたりであくまで個人的な記録を残しておくことにします。

中国で新型の肺炎が発生したという記事が載っていたのが昨年の大晦日でした。限られた地域で終わるのかな…と思っていたらあっというまに流行は国境を越えて広がり,2月には寄港したクルーズ船内での発生,3月にWHOからパンデミックが宣言され,4月には政府から緊急事態宣言がなされています。発生数の急増とともに医療崩壊が懸念される一方,予定されていた行事や活動はすべて中止,外出も憚られ,あまりの急展開に非現実感も漂います。

感染拡大そのものについては,保健所をはじめとする公衆衛生関係者,医療現場,そして疫学の専門家による尽力と,社会活動の低下に対する忍耐,そしておそらくは日本に特有な未知の要因によって何とか感染爆発は抑えられ,ピークアウトが見えてきたのが現状です。

とはいえ新しいウイルスが一筋縄ではいかない代物で,流行を抑えるためにはどうやら以前のような日常にすぐ戻るわけにはいかないらしいことも分かってきました。単に非日常から日常に戻るというよりは「新しい日常」に着地することを目指すことになるとして,しばらくは落ち着かない日々が続くのでしょう。短期間ならどうにか耐えられても,長丁場となると不満が出てくるし,専門家とそれ以外の方々とのリスクコミュニケーションはむしろこれからが難しい局面となる気がします。

長谷川和夫先生と認知症

認知症診断の生き字引的存在といえる長谷川和夫先生が認知症と診断されたニュースは一昨年あたり耳にしていましたが,今回ご自身でその経緯を本にまとめられました。 

認知症(当時は「痴呆」)診断の歴史とか,長谷川式スケール開発の裏側といったトピックも面白いのですが,なによりタイトルにもある,当事者としての認知症との向き合い方が本書の主題だと思います。長谷川先生自身,認知症の症状がこれほど変動するとは専門医として考えていなかった,と仰っている通り,当事者でないと分からないこともたくさんあるのでしょう。

何かを決めるときに,ボクたち抜きに物事を決めないでほしい。ボクたちを置いてけぼりにしないでほしいと思います。

第3章 認知症になってわかったこと p69 

このあたりは意思決定支援とかパーソンセンタードケアといった概念は知っていても,当方自身が本当の意味でやるべきことをやっているのかを問われている気がしました。

つい先日はNHKスペシャルでも取り上げられていました。

こちらは長谷川先生を支える奥様や娘さんとの関わりを中心とした構成で,病状の進行が容赦なく映像に捉えられていることもあって著作とはまた違う印象でしたが,それでも「認知症になっても見える風景は変わらない」というメッセージは共通しているのだろうと思います。