内部調査が残した傷跡


東京女子医大での心臓手術における医療事故に関連して,内部調査を巡って争われていた民事訴訟が和解で決着したとの記事です。

 東京女子医科大学病院(東京都新宿区)で2001年、心臓手術を受けた小6女児が死亡した医療事故をめぐり、機器の操作ミスが原因だとする調査報告書で名誉を傷つけられたなどとして、刑事事件で無罪となった佐藤一樹医師(47)が大学と元院長に損害賠償を求めた訴訟は6日、東京高裁(園尾隆司裁判長)で和解が成立した。大学側が報告書の誤りを認め、謝罪した。
 原告側代理人によると、高裁が昨年12月、和解案を提示。和解条項には200万円の解決金支払いも盛り込まれた。
 大学の報告書は、佐藤医師が人工心肺装置のポンプの回転数を上げたままだったことが原因と結論付けていた。昨年8月の一審東京地裁判決は「佐藤医師の過失は否定されるべきだ」と指摘する一方、損害賠償請求権の時効(3年間)を理由に請求を棄却した。
 佐藤医師は業務上過失致死罪で逮捕、起訴され、09年に無罪が確定した。和解後には「報告書を基に起訴された。全国の医師には、医療事故の『内部報告書』の危険性を検討してもらいたい」とのコメントを出した。
 東京女子医科大広報室は「今後も安全で高度の医療を提供する大学病院として一層努力する」としている。

東京女子医大が謝罪=「事故報告書は誤り」−無罪医師と和解・東京高裁

当方の理解では,事故発生を受けて行われた内部調査は,当事者に対する聞き取り調査が不十分な上に,原因検証は当該領域の専門家も立ち会わない科学的裏付けに欠ける杜撰なものであったにも関わらず,その調査報告書を根拠として佐藤先生個人に対する刑事罰の追求と報道攻勢が行われたという経緯です。刑事裁判の過程で指摘された内部調査が誤りであったことが認定され,佐藤先生の無罪が確定しました。今回はその根源である内部調査を作成したことに対して大学の賠償責任が問われたわけです。結局和解となりましたが,その和解条項から判断すると,実質的に原告勝訴と言っていい内容とのことです。

この件では不適切な内部調査が当事者にとってどれほど弊害のあるものかが明らかになったと思います。今回原告となった佐藤先生については言うまでもありません。ご自分では関与できない要因によって,その場にいただけという理由で,長い期間にわたって職務から遠ざけられキャリアを失い,社会的地位が損なわれました。亡くなった患者さんの遺族もまた,事故そのものによる悲嘆に加え,事実誤認のある説明を受けていったんは納得し,それが後日裁判でひっくり返されたわけですから,おそらくは心の傷がさらに深くなり,医療機関に対する信頼は損なわれたことでしょう。

今後は,医療事故の原因究明のために行われる内部調査の信頼性がどのように担保されるのか,というあたりが問題になってくるかと思います。上の記事では「『内部報告書』の危険性」と要約されていて,これだと内部調査そのものが原因究明には不適切という含みもあるようにもとれます。うろうろドクター先生のエントリで引用されていたm3の記事にはもうすこし詳しい発言内容が紹介されています。

佐藤氏は現在、都内で開業しており、医療事故関連の講演も行っている。その際、常に強調するのが、「内部報告書」の取り扱い方だ。
「内部報告書の作成に当たっては、当事者の意見を聞くことが不可欠。さらに、内部報告書をまとめた段階で、当事者に見せ、それに同意するのかを確認する。異論・反論がある場合には、その意見を付記した形で報告書をまとめる対応が必要」(佐藤氏)

確かに,本事例の内部調査を行う側が報告書作成のプロセスから当事者を除外したことで,最終的には,真の原因から結論を遠ざける結果となりました。それがどのような意図によるのかはともかく,適切な方法でなかったことは確かでしょう。ただし内部調査そのものは否定されていません。

ヒューマンエラーは裁けるか―安全で公正な文化を築くには

ヒューマンエラーは裁けるか―安全で公正な文化を築くには

公正な文化は,多層的な説明のうち,「下からの視点」に注意を払う。その説明は,一番説得力がなく,却下するのが一番簡単である。それを口封じすることは,組織的に,あるいは政治的に見れば都合がよい。それは必要悪と見なされるかもしれない。他の目標を達成する過程では,本人には気の毒だが誰かが踏み台にされる必要があると考える人もいるだろう。しかし,そのようなことであればなおさら,下からの視点に発言権を与えることは,道徳的に見て極めて重要なことである。

p64-65

報告書を作成するプロセスに問題があったのであれば,今後それを教訓として公正な調査のありかたを議論していけばいいと思います。例えば,ある医療機関で事故が発生したとき,当事者からの聞き取りに加え別の医療機関の当該専門家による評価が受けられるような制度のもとで,当事者個人の責任を追及するのでなく,原因究明を優先するような内部調査が行われるといったやりかたは検討する意義があるように思います。

以前厚労省に対抗する形で提案された民主党の医療事故調案は院内調査と家族の納得を優先する主旨となっていて,厚労省案よりは現実的かつ責任追及の弊害を考慮したものになっていると思うのですが,なぜか政権交代したあと議論が進んだ形跡がなくそのあたりの事情についてはよく分かりません。

ただ個人的に懸念しているのは,本事例を根拠として医療機関内部での調査そのものが否定されるような方向,とくに外部からの責任追及を前提とした介入が推進されることです。もしかしたらそれは当方の心配しすぎかもしれませんが,少なくとも医療事故調の議論がより非現実的かつ規範的な方向にむかうのであれば,医療安全にとって好ましい事態ではないように思います。


 

当直は時間外労働2


県立奈良病院の産婦人科医が時間外労働への賃金支払いを求めた訴訟の続報です。

産婦人科医の夜間や休日の当直勤務が労働基準法で定められた「時間外手当」の支給対象になるかが争われた訴訟で、大阪高裁の紙浦健二裁判長は16日、対象になると判断して奈良県に計約1540万円の支払いを命じた一審・奈良地裁判決を支持し、原告・被告双方の控訴を棄却した。

産科医の当直、時間外支払い命じた一審支持 大阪高裁

前回は医師側の主張が一部認められましたが,医師側,病院管理側の県の双方が控訴していました。今回も前回の地裁判決をほぼ踏襲した判決のようです。

勤務医の「当直」に関しては労働基準法の観点から問題があることは以前より指摘されてきました。ごく単純には,どんなに寝ないで勤務していても「ほとんど休んでいる」ことにして賃金を大幅に節約していると理解しています。賃金が搾取されていることはもちろんですが,「ほとんど休んでいる」というタテマエが休憩なしの連続勤務の裏付けとなり,最終的には医師のみならず医療を受ける側にも不利益をもたらしていると個人的には考えています。

「当直」と称するものが実態は時間外勤務であり,正当な賃金が支払われることが認められたわけですから,これを前例として全国で同様の訴訟がおきる可能性があることを考えるとたしかに特記すべきニュースでしょう。

その一方で,「宅直制度」は時間外労働としては認められなかった点は注目していいと思います。自宅にいるとはいえ,いつ呼び出しがかかるか分からない状態なら病院の拘束下といえるし,そこが勤務として認められないのは納得しがたいところです。司法的判断は地裁も高裁もあくまで形式上は「自主的にやっていること」なので認められないとのことですから,今後もこの形態を続けるなら相応の覚悟が必要,というメッセージと受け取るのが良いようです。

ところで,この判決について昨日の夕方には大手各紙と時事通信はウェブ上に記事を配信していました。おそらくニュースバリューとしては大きいと判断したのでしょう。ただし全国紙のなかでなぜか毎日新聞だけがこの記事を配信していません。まさに奈良を舞台とした「たらいまわし」報道で批判され「医療体制の不備を追及して改善につなげる」と言い切った毎日新聞ですから,きっと他紙とはひと味違う記事を準備しているに違いありません。期待しておきます。

初診時の転送義務と後知恵鑑定


報道によると,開業医が高次医療機関への転送を怠ったことによる損害賠償請求が認められたようです。

初診開業医に賠償命令

髄膜炎の症状を見過ごされ、治療の遅れから転院先で死亡したとして、境港市の男性会社員(当時40歳)の両親が同市内のたけのうち診療所(閉鎖)の50歳代の男性医師に慰謝料など約7500万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が13日、地裁米子支部であった。村田龍平裁判長は「十分な問診と、設備の整った医療機関への移送を怠った過失があった」として、医師に約5600万円の支払いを命じた。

判決によると、男性は2001年12月、高熱や嘔吐(おうと)の症状を訴えて初めて同診療所で受診。解熱剤などを処方されて帰宅したが、症状は悪化し、翌日に救急搬送された病院で細菌性髄膜炎と診断された。その後、意識が回復しないまま、転院先の病院で05年1月に多臓器不全で死亡した。

診療所では、感染症検査などを外部に委託しており、村田裁判長は「髄膜炎と断定することは困難だった」としたうえで、「髄膜炎を疑って特有の症状を確認するなどし、病院での検査を勧めていれば死亡は避けられた」と判断。一方で「過失がなくても後遺症が残った可能性がある」として損害額の3割を減じた。

原告側の高橋敬幸弁護士は閉廷後「初診患者に対する問診の不十分さと死亡との因果関係が認められるのは極めて珍しい。初診の重要性を開業医に投げかける判決だ」と話した。

被告側の川中修一弁護士は「短時間の診療で髄膜炎と見抜くのは難しい。医師と相談し、控訴を検討する」としている。

例によって判決の詳細は分かりませんが,高熱と嘔吐で開業医を受診した方を髄膜炎であることを疑うことをせず帰宅させたことが問題とされているようです。「髄膜炎と断定することは困難だった」と判決で述べている以上,髄膜炎の典型的症状が揃っているのに診察を疎かにして見逃したということではなく,おそらくは発症早期で症状が非典型的な段階で受診されたのでしょうし,であれば,転送する必要がなく対症療法のみで治癒するような疾患の可能性をまず考慮するのはおかしな話ではありません。初診の時点で確定できなければ,時間の経過とともに症状の変化を観察しながら診断を修正する,という考え方を普通はすると思います。

自分がもし同じような状況であれば時間の許す範囲で「この症状だと対症療法だけで治る可能性が高いけれど,現時点ではまだ分からない重篤な疾患が隠れていることもあるので,症状の変化に注意してください」といった説明をするでしょう。状況によっては「症状の変化」として具体的に激しい頭痛や痙攣,意識障害といった例をあげて「その場合はすぐに受診してください」くらいはお話することもあります。そういった説明をまったくしていなかったというのであれば,医師の責任も一部認められるのかもしれません。

ただし「髄膜炎を疑って特有の症状を確認するなどし、病院での検査を勧めていれば死亡は避けられた」というからには,今回の事例で問題とされているのはそうした説明義務の話ではなく,その時点ですでに高次医療機関を紹介すべきだったのにしなかった,つまり転送義務と思われます。

当然のことですが,初診の時点では,転送する必要のない疾患も疑うことはできますし,転送が必要と考えられる病態は髄膜炎以外に疑うことはいくらでもできるわけです。その中でことさら髄膜炎だけを疑うべきである根拠が,後日判明した診断以外にないのであれば,これは「後知恵」ではないかと誰しも考えることでしょう。そしていつものことですが,「後知恵」判決が出されたということはその判決が採用した「後知恵」鑑定があるいは「後知恵」証言がある筈です。別記事ですが

境港の医療過誤訴訟:医師に5565万円賠償命令−−地裁米子支部 /鳥取
被告側は「初診で見抜くのは困難だった」と反論していたが、「重症の急性感染症が疑われ、設備の充実した医療機関を紹介すべきだった」とした岡山大の感染症専門家による鑑定結果を判決は全面的に採用した。

とあるので,今回の事例ではこの「感染症専門家」の鑑定が決め手となったようです。

考えればすぐ分かることですが,髄膜炎に限らず重篤な疾患の初期症状を疑った患者さんを全例転送すれば,転送された高次医療機関の診療がすぐにでも破綻します。だからこそ初期医療機関では転送すべき患者さんを慎重に見極めているわけですが,「後知恵」の何が問題かといえば,そうした不利益を一切考慮していないことです。そもそも転送義務の要件とされるものを読んでみると,これはきっと医療資源が無限にあることを前提にしているんだろうなという感想が浮かんでくるのですが,であればこそ,そうした転送義務の不利益は個別の事例ごとに判断するしかありません。そういう意味では,鑑定の採用にもバランスに欠けたところがあるように思えます。

被告側弁護士によれば「短時間の診療で髄膜炎と見抜くのは難しい。医師と相談し、控訴を検討する」とのことです。上級審があれば是非とも「後知恵」はあくまで「後知恵」に過ぎないことを認めて頂きたいものです。

追記(2010-09-15 09:25)

「後知恵」バイアスに関するなんちゃって救急医先生の秀逸なエントリです。ネット上で盲検を試みることで「後知恵」から逃れることの難しさを検討しています。必読。
http://case-report-by-erp.blog.so-net.ne.jp/20080118