「医療否定」は患者にとって幸せか

「医療否定」は患者にとって幸せか(祥伝社新書)

「医療否定」は患者にとって幸せか(祥伝社新書)

以前当ブログでも紹介(■スーパードクターの弊害)した『「スーパー名医」が医療を壊す』は目の付け所が面白くて語り口も軽妙で,なおかつ医療の実情をうまく伝えている本でした。本書は同著者による「平穏死」「尊厳死」ブームへの反論ということで早速買ってみました。

神様のカルテ」などの小説・ドラマ・映画を題材にしながら,なぜエビデンスに反した「医療常識」が蔓延するのか,なぜ病院での最期は満足度が低いのか,説明と同意における食い違い,抗がん剤を使う意味といった医療者でもまだ整理がつかない話を整理がつかないなりに一般の読者に伝えようとする姿勢は『「スーパー名医」が医療を壊す』と同様です。

最終章では石飛氏の『「平穏死」のすすめ』を取りあげます。「高齢者や終末期医療の意味づけ」という壁にぶつかった医療者が「この人に治療を続けることに意味があるんだろうか」と自問する心情には共感しつつも,

老人ホームで,経管チューブの入った寝たきり高齢者を見て,
「お年寄りになんてことをするんだ!」
と思うのは,がん告知で
「お年寄りに何てことを言うんだ!」
と思うのと同じ。
「だって,もうこの人たちの人生に,大事な時間なんてないんでしょ」
と勝手に思い込んでいるだけではないだろうか?
そうだとすれば,無茶苦茶失礼な話だ。

第6章 高齢者の胃瘻は本当に意味がないのか? P206-207

と指摘します。最終的に『「平穏死」のすすめ』に対する評価は

それを老人医療の一般論として納得させるには,医学的にも,倫理的にも,人生論としても,はなはだ不十分ではないか

第6章 高齢者の胃瘻は本当に意味がないのか? P210

と結論づけています。

かなり厳しい評価ですが,当方としては一連の「尊厳死」「平穏死」「自然死」に関する書籍や記事を読んだり講演を聞いたりして感じてきた違和感というのがやはりそのあたりにあったということもあり,どちらかというと…というよりかなり著者の見解に共感を覚えます。

本人にとっても家族にとっても後悔の少ない最期を迎えるために,「尊厳死」「平穏死」「自然死」という考え方をうまく使うというならともかく,昨今のブームはむしろそれが目的化してしまっている印象があります。「尊厳死」「平穏死」「自然死」を提唱した方々がもともとそうした意図があったとは限らないのでしょうけど,やはりこのブームに対抗する言説がもう少し取りあげられてもいいように思います。

二年目の春

以下は個人情報につき事実の一部を脚色しています。

昨年の初め頃,震災と津波により長年住んでいた家を失った高齢の女性が当院を受診されました。もともと独り暮らしでしたが,当地に嫁いだ娘さんが仮設住宅での生活を心配されて転居することになり,これまで近くの医療機関で受けていた診療を継続したいとのことでした。紹介状もなく手持ちの処方薬から診断を推測しながら診療を始めたのですが,診察室でのやりとりからは従来からある疾患よりもむしろ生活環境の急激な変化によるストレスが彼女にとっては大きな問題に思えました。背景として高齢に伴う心身の衰えもあるのでしょう。当方が医師としてできることはそれほど多くなく,安定剤が中心の処方を睡眠リズムが安定するよう整理することと,あとは彼女の訴えを拝聴するくらいです。

当初は口数も少なく故郷の話をしては涙を流していたのが,次第に笑顔も見せるようになり,震災後の状況を冷静に振り返るような言葉もありました。時間が経って次第に現実を受け入れ始めていたのかもしれません。そんなこんなで当方も安心し始めた半年後,娘さんが「やはり故郷に帰りたい」と彼女が希望していると相談にみえました。医師の立場からは冬期の独居はリスクが高いと思いますし,当然のように娘さんは相当引き留めたようですが,彼女も十分承知の上での決心だったようです。結局冬を迎える少し前に故郷に戻っていきました。

当方にとっては被災された方の不安や悲嘆,そして故郷に対する思いの一端を垣間見る機会となりました。幸いにして支えになる肉親に恵まれた彼女だけでなく,居場所を失った数多くの被災者が今なお仮設住宅での生活を送っていることを思うと言葉を失います。この冬の寒さは昨年にもまして厳しいことでしょう。先日みえた娘さんによると,彼女は現在のところ大事なく暮らしているとのことでホッとしました。いずれまたお会いできる日を待つことにします。

最後に改めて,震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表し,被災地の生活が一刻も早く再建されることを祈念します。


 

尊厳死と医療費


直接見ていないのですが,昨夜報道番組で石原伸晃氏が尊厳死について発言していたようです。

以前にも胃瘻による経腸栄養を「エイリアン」と表現したことを併せると,どうも延命治療に対してかなり否定的な考えをお持ちのように見受けられます。回復する見込みもないのに延命してほしくないという気持ちを抱くのは当然といえば当然かもしれませんが,一般人ではなく政治家として政策を語る立場であれば,回復する見込みがないのに延命治療するまでに至っている社会的背景,あるいは回復する見込みがあるのに延命の中止を余儀なくされているという現実への目配りが欠けているように思います。

もし終末期の尊厳が失われることが問題だとするなら,その解決のためには今以上の医療・介護・福祉といった社会保障とその財源が必要になってもおかしくはないわけで,そもそも増加する社会保障費に対する解決策になっているのかどうかも疑問です。なっていると言い切るからには,尊厳を守るという本来の目的を解決するつもりはないということなのか,そこまで考えていないのかのいずれかでしょうか。

「非常に誤解を招」くというのが,あくまで個人の信念であって他者に強制するつもりはないという意味なら,司会者の「切るものは切らなければいけない」「削るものは削らなければいけない」という前振りに呼応して発言する必要はないわけです。おそらくは善意から出た発言と想像しますが,善意であればこそなおさら危うさを感じます。