新聞記者の心理


新聞やテレビでの科学的合理性が欠如している報道が多数見受けられることについては,既にあちこちで指摘されてきたし当ブログでも取り上げてきました。興味があるのは,当の記者がその事に対してどういう認識を持っているかということです。科学的に誤った報道に対しては専門家からの指摘が当然あるんでしょうけど,自分たちが絶対に間違っていないと思っているのか,間違っていることを分かった上であえて報道しているのか,間違っていることを修正する能力がないのか,いずれなんでしょうか。

メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書)

メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書)

この本の著者は毎日新聞記者出身のフリーの科学ライターで,非科学的報道に関わる記者の心理を次のように述べています。

 私には,報道関係者の心理はよく分かります。私は,環境ホルモン問題が盛んに報道されていた九八年当時,新聞社で編集制作の仕事に携わっていました。新聞紙面の見出しやレイアウトを考える役回りです。九九年四月に退社しましたので,環境ホルモン取材に直接かかわることはありませんでした。
 しかし,もし渦中にいたらどうしたでしょうか。「危ない」と煽る研究者を日参し,情報をもらい,得々として記事化していたのではないでしょうか。他の研究者の話を聞いて情報を吟味していたのでは,他社とのトクダネ争いに勝てないからです。おそらくなんの疑問もなく,「危ない」記事を書き続けたでしょう。
 そして「どうも,あの話は怪しい」と分かった瞬間に,研究者詣でをやめ,知らん顔したに違いないと思います。今,もしその責任を問われたら「でも,あの当時,危ないと主張する研究者がいたのは事実で,私はそのことをそのまま報じただけなのですよ。私も騙されたのです」というでしょう。
第4章 警鐘報道をしたがる人々 p87

まとめると「商売なんだから間違っているかも知れないが検証などする余裕はないし間違っていたとしても自分の責任ではない」ということでしょうか。とすれば未必の故意には相当する気がします。当方としてはこれまでの多くの記事内容を拝見する限り,間違いを間違いとして認識する能力が欠如していることが問題なんだと認識していましたが...。

誤解のないよう付け加えると,この筆者は取材活動の中でそうした記事のあり方に疑問を持ち,この本でも一貫して科学的な見方を持つことの重要性を主張されています。ぜひ広く一般の方に読んでいただきたいと個人的には思っている位なのですが,元同僚に対してはやはり武士の情けというか,事実を認識する能力に欠けているとまではさすがに言及することは憚られたのかも知れません。ただ,記者として無能であると言えばプライドは傷つけられるかも知れませんが,分かっていたけどやめなかったという事に比べれば罪状は軽いんじゃないでしょうか。