介護利用の知識と戦略

ご両親が同時期に認知症により介護が必要な状態となり苦労された貴重な体験談です。当初は急性期病床での入院(おそらくは差額ベッドを利用),次いで「介護専門の病院」(療養型病床?),有料老人ホームを経由して最終的には特別養護老人ホーム(特養)の空きが見つかり,ご両親ともに入居したという経緯です。この過程でご両親の蓄えは底をつき著者ご自身も仕事を辞めざるをえなかったとのことで,さぞ大変な思いをされたこととお察しします。

個人的な感想としては,まず病院を入院できる期限*1を過ぎたあとに有料老人ホームを利用できる経済的余裕があったこと,その負担に耐える限界の前に比較的費用のかからない特養に入居できたことを考えると,正直なところ,まだしも幸運な部類ではないかと思います。要介護状態の患者さんを日頃診察していると,特養の空き待ち*2が数十人以上の状況で有料老人ホームや介護つき住宅に入居する費用(あるいは入居してもそれを維持する費用)が捻出できず,仕方なく自宅介護に至るケースは決して少なくありません*3。その結果,ご家族の精神的・肉体的な負担は格段に大きくなり,当方含め関係者各位が日々頭を悩ませることになるわけです。

特養や老健の空き待ちを早めに抑えつつ,それまでの介護負担を少なくするためのサービス計画を立てるという作戦は,現時点では確かに大事なことだと思いますが,特養や老健の新設は自治体の財政問題が絡んで簡単に認可が下りない上に,国が今後在宅つまり自宅+居宅系施設(上記の有料老人ホームや介護つき住宅)へ舵を切っている以上,将来更に介護需要が増加したときにこれまでと同じ戦略でいいのかどうか,かなり心許ないところです。自費負担の大きい居宅系施設は今後増えてくるでしょうけど,これからはより安くて質の低いところが需要に応えていくのかもしれないですね。

悲観的なことばかり書き連ねてしまいましたが,現実問題として任意後見制度,銀行口座の代理人契約,あるいは治療費に困り、もらえるはずの生命保険を解約ということにならないような保険契約に関する知識が重要なことについては異論はありません。もっとも法的問題については専門家と呼べる人材が必ずしも介護現場に多いわけではないという問題もあるのですが。

 

*1:これは病院よりは医療政策の問題です。

*2:実質的に誰かが亡くなるのを待っているわけで冷静に考えたら不謹慎かもしれませんが,当事者にすれば切実なのには間違いありません。

*3:あくまで個人的な実感ですが,積極的に在宅介護を選択するというより,事情によりやむなく在宅という方が増えてきた印象があります。

家族の道義的責任と社会サービス


経済的余裕があるのに親族が生活保護を受給されていた,と糾弾されるタレントがこの週末話題になっていました。報道を見る限り,当該するケースがそもそも何かのルールに違反しているかは明らかではなく,どうも扶養する能力があるのにそれを果たさなかった「道義的」責任が問題になっているようです。つまり「子が親の面倒を見るのは当然」ということですね。

当方が多少なりとも関わっている介護制度に関しては,もともと家族介護の限界を公的サービスでカバーするために作られた筈ですが,政治的事情により財政が限られた状況で「家族による自宅介護」それがダメなら「居住系サービス」へという流れになっています。自宅での介護は誰かが介護に専念することが必要であり場合によっては収入減となることを意味しますから,ある程度の余力がある家庭であることが前提となります。居住系サービスにしても,今後推進されるのは介護財政を圧迫しない有料老人ホームとかケア付き住宅でしょうし,そうした施設は年金だけでは賄えないことが多いようですから,本人あるいは親族の経済状況に左右されることになるのでしょう。そうした方針にあたって「家族が面倒を見る」という「道義」が引き合いに出されるのはある意味自然な流れではあります。

確かに「子が親の面倒を見るのは当然」というのは道徳的には分かりやすい話ではあるし,実際頑張って面倒を見ている方も大勢いるのですが,それがかつて社会規範とみなされていた時代から家族構成にしても雇用にしても社会背景にしても大きく変わっているわけですから,「当然」と言い切るのはかなり危うさを感じます。社会に必要なサービスの基準に「道義」というモノを持ち出してくると,それをどこまで適用するのかが恣意的になってしまいますし,今回既に見受けられるように,現実に即した議論が省略されてしまうのが何より問題なのではないかと思います。


 

在宅診療と診療報酬改定


 来年は医療と介護の診療報酬同時改定ということで現在議論が行われているところです。財源に関してはプラス改定という意見が早々に下火となり,争点はすでにプラスマイナスゼロかマイナスか,というあたりになっているようです。まあ震災復興で金がないからといえばそれまでなんでしょうけど,前回改定にしてもほとんどゼロに近いプラスだったことを思えば,仮に震災がなくてもマニフェストに掲げたような増額は期待できないような気もします。

 とはいっても高齢化による医療需要増大という現実には対処しないといけないわけです。中医協に出てきた資料(PDF)を眺めてみる限り,大方針としては急性期病院に医療資源を集中して,入院患者数や介護施設入居者数は削減,その分は在宅医療を充実させて賄うということのようです。本当にその大方針で対処できるのかという疑問ももちろんあるのですが,個人的に関わりのある在宅医療に関する方針はどうしても気になります。

これまでは在宅医療を推進しようということで在宅療養支援診療所(在支診)については診療報酬が比較的優遇されてきたという経緯があるのですが,上記の資料の中で,在支診のうち自宅での看取りを行っているのは半数しかいないことが指摘されています。そして,今後さらに自宅での看取りを推進するために在支診の中でも在宅医療に特化した施設を優遇しようという流れになっているようです。

これは要するに,在宅医療を行っている診療所がキチンと看取りに取り組んでいないのが問題であると仰りたいのでしょう。ただ自分なりに考えると,在宅医療の特性上,医療機関側が集約しても決して効率が高まるとは限らないわけで,むしろ在宅医療に特化していないような普通の診療所が参加しやすいようにするほうがより多くの患者さんにとって利益になるような気がします。

看取りだけで在宅医療への貢献度を評価していいんだろうかという点も疑問です。看取りに至る以前の段階でも,在宅での生活を継続するために必要な医療の介入はいくらでもあるわけです。最終的に病院で最期を迎えたとして,それまでの在宅医療で支えられた期間に意味がないとは言い切れません。

さらに言えば,自宅での看取りが困難という場合,診療所側の努力不足だけではなく,介護力の不足といった患者さん側の要因も無視できません。その場合,必要なのは医療よりむしろ介護サービスということになりますが,医療供給を入院から在宅にシフトするさいに介護の需要増をどこまで考慮しているのかという点も相当に不安です。

そう考えると,在宅医療の促進といっても素直に喜べないのが正直なところです。とはいえ,病床や介護施設が必要数に追いつかない限りは行政の意図に関わらず,在宅医療の需要は増えることはあっても減ることはないでしょう。できることなら,医療を提供する側にとっても受ける側にとっても極力足を引っ張らないような方策を立てて頂くことを願っています。