福島県立大野病院事件と医師法21条


本日は大野病院「事件」第12回公判です。

医療と法を考える―救急車と正義 (法学教室Library)

医療と法を考える―救急車と正義 (法学教室Library)

大野病院「事件」は現在地方裁判所において業務上過失致死と医師法21条違反について争われています。前者に関しては医学的見地から過失はなかったとの主張が被告および被告側証人からされていて,内容的には検察側の主張を圧倒しているように(少なくとも当方の目には)見えます。後者に関しても当初は12月の公判で被告側証人が申請されていましたが,裁判所はこれを却下しています。この証人がどのような法廷でどういう主張をする予定だったのかに興味があったので,ちょうど最近出版された著作を読んでみました。

司法関連書籍は用語が取っつきにくいのと語義をあいまいにしないために文章がガチガチなものが多く読むだけも難儀するのですが,この本は平易な文章で分かりやすく,非法曹,特に医療関係者のために書かれたものと想像します。タイトルに「救急車と正義」とありますが,トリアージの法的問題だけでなく,応召義務,医業独占,守秘義務,個人情報保護など扱う話題は広範囲です。その分専門家にとっては浅い内容かもしれませんが,一度読んでおく価値はあるように思います。

法律の素人が間違った解釈をしている可能性もあるのですが,医師法21条問題の背景について要約すると,

  • もともと司法警察に対する協力を促すのが目的。少なくとも行政側は医療事故を想定していなかった。
  • 明治期の医師法施行規則9条とほとんど同じ規定だが,その後基本的人権や警察の概念が大きく変化している。
  • 1994年に法医学側から「異状死ガイドライン」を公表。厚生省もこれを参考にすることを推奨。意図としては解剖による死因究明を広げようとするもので,医療事故の刑事事件化は視野になかったのではないか。
  • 1999年都立広尾病院事件において業務以上過失致死や虚偽有印公文書作成同行使のほかに医師法21条違反による起訴がなされる。厚生省はこれを受けて,医療過誤または疑いのあるケースは警察届出するよう指示。
  • 外科学会がガイドラインで,医師自身が「医師の倫理」に基づき黙秘権を放棄して自発的に届出を行うように推奨。これが次の最高裁判決に利用された形になる。
  • 2004年都立広尾病院事件の最高裁判決。届出義務は総合的に判断して黙秘権を定める憲法38条に違反しないと判断。


ということのようです。21条の歴史的経緯も正直よく知らなかったし,当方としては最高裁判決が出たということはもはや確定事項で,司法関係者はそれに従うものなのかと思っていたのですが,筆者は

これは大胆な判決であり批判が強い。

という立場のようです。さらに最高裁の示した判決理由

いわば総合的に判断した結論だとした。だが,それは,1つひとつの論拠が弱いために,たくさん並べたという印象を受けるうえに,それぞれについて以下のように反論が容易である。

と斬り捨てています。以下反論が続きますが長いので引用は控えます。と思いましたがやはり大事なので引用することにします。以下は最高裁の論旨とそれに対する筆者の反論です。

  1. 本件届出義務が,刑事手続き上の義務ではなく行政手続上の義務であること。
    • しかし,医師法21条はまさに犯罪捜査の協力のための規定である。
  2. 届けの対象は死体に異状があると認めたことのみであって,届出人と死体の関わり等,犯罪行為を構成する事項ではないこと。
    • しかし,業務上過失致死という自己の犯罪が発覚する可能性は極めて高い。
  3. 医師免許は,人の生命を直接左右する診療行為を行う資格を付与するとともに,それに伴う社会的責務を課するものであること。
    • しかし,社会的責務のゆえに憲法上の基本的人権を放棄させてよいことにはならない。医師の社会的責務とは,本来,患者の健康の維持回復にあり,刑事司法の協力はその本質ではない。
  4. 本件届出義務が公益上の高度の必要性を有していること。
    • しかし,届出制度自体の公益性は肯定できても,個別の事案で問題となった当事者の黙秘権を剥奪するのは無理がある。論者によっては「ナンセンス以外の何者でもない」とすら評されている。

法律論的にどの程度妥当かは当方の能力では判断できませんが(少なくとも読んでなるほどとは思いました),少なくとも最高裁判決といえども司法内部は一枚岩ではないということは分かりました。

さらに,医療事故への刑事司法介入についても批判的です。患者側が医師が隠蔽することに対して警察という権力に期待することは理解できるものの,実際には患者側が期待するほど立件・起訴に至ることは少なく,患者が満足する判決が出されることも期待できないこと,また刑事手続きは「真実」を発見するシステムではなく,個人の責任を追及することでかえって「真実」が隠されることがある,と指摘します。

筆者の主張が司法の世界ではどのくらいメジャーな意見なのかは分かりませんが,福島地方裁判所がこの件について議論すら行わないのはどういう意図があるのか,今回の裁判だけではなく今後の医療事故と刑事事件との関わりを考えると,とても気になります。いずれにしても最終的な判決を待つしかないわけですが,裁判官が適切な判断を下すことを望みます。