「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を読んでみた


ここ数年社会の高齢化を反映してか,どのように人生の終わりを迎えるべきなのか,というテーマが以前よりは抵抗なく受け入れられるようになっている気がします。最近出たこの本も,書店での扱いやアマゾンのランキングなどを見る限り,かなり評判がいいようです。

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

読んでみると「死」というテーマを嫌悪感なく読ませる語り口はなかなかのもので,売れているのも納得できます。普段「死」について考えず,いざその現実に直面したときに冷静な判断ができないという話を伺うことは職業柄自分にもよくありますから,前もって考えておきましょうという提言には同意します。ただ問題は,考えるための判断材料が妥当かどうかという点です。

本書では「高齢者は医療を受けないほうが幸せに死を迎えることができる」という主張が繰り返し述べられています。確かに,加齢により身体機能が非可逆的に低下した状態を「治療」しようとするような過剰な医療介入については自分も賛成できませんが,その過程で生じる身体的・精神的苦痛を和らげるメリットが医療介入による負担のデメリットを上回る場合には,何らかの治療を選択する余地はあると考えます。そのあたりの線引きに明確な基準があるわけではないですが,著者の挙げる具体例を拝見する限りでは,自分自身の感覚とかなり違うように思います。例えば

私のところでは,過去に麻薬を使うような末期がんの患者を見たことがありません。
第三章 がんは完全放置すれば痛まない p115

という一節があるのですが,これは当方の少ない経験でさえ高齢者であっても疼痛治療が必要なことが現実にありますから,少なくとも一般化できる事実ではありません(このあたりは緩和ケアを専門とされている平方先生が詳しく指摘されています)。普通に考えれば,例えば介護施設が麻薬を使うようなケースを受け入れていない,といったバイアスが想定されると思うのですが,そうした考察は特にされずに

私も以前から,がんで痛みが出るのは,放射線を浴びせたり,”猛毒”の抗がん剤で中途半端に痛めつけたりするせいではないか。完全に根絶やしにできるならともかく,残党が存在する以上,身内を殺された恨みで,復讐に出ても当たり前と思っていました。
今はそれが,確信に変わっています。
第三章 がんは完全放置すれば痛まない p97

という一般化がされているあたり,著者がご自身のバイアスに対して自覚していないことが伺われ,個人的にはかなり危うさを感じました。

繰り返しますが,「死」について普段から考えておくことは大事だと当方も思います。身内や知人の最期に接したり間接的に経験談を見聞きして,終末期にはどのような状況になるのか知っておくことは,自分自身や自分にとって大切な方が最期を迎えるときの判断材料になるでしょう。とはいえ,経過も周囲の環境も十人十色である以上,個人的経験を過度に一般化することで一律に「こうあるべき」という結論を出してしまうことはむしろ弊害にもなりえます。特に本書ではそうした「こうあるべき」の主張において必要と思われる医療までも否定しかねない一種の自然志向が目立っていて,かなり気になるところです。一般の方が読むに当たっては,そのあたりに注意して頂く必要があると考えます。